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7日目・アグラ〜ファテプールシクリ〜ジャイプール |
〈タージマハル =世界遺産=〉
アグラは、16世紀前半〜19世紀中頃に栄えたインド史上最大のイスラム王朝ムガール帝国の都でした。 ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した最愛の王妃ムムターズ・マハルのため建設した墓廟が、タージマハルです。 巨大な建物で、中央のドームの高さは67m、建物全体で使用されているのは真っ白な最高級大理石、壁面は精密な彫刻が施されています。 廟の周りは美しい庭園となっており、言わば、世界一豪華で贅沢なお墓です。
ジャンシーを4時間遅れで出発したので、アグラに着いたのは午前3時半、ホテル着が午前4時でした。2時間ほどの睡眠で、朝8時半に、アグラ市内の観光に出発しました。 インド北部のアグラはかなり寒く、1月だから寒くても当然なのですが、エローラあたりでは、半袖で良かったのですから、こんなに寒いとは予想してませんでした。 おまけに、冬のインドの朝にはつきものなのか、ここも深い霧に包まれていました。 タージマハルの正門をくぐると正面に、写真やテレビでおなじみの純白の建物が見えるはすでしたが、霧で何も見えません。魔法のように消えています(笑) 間近に寄っても、ドームなど全く見えず、数メートル先がやっと見える状態でした。 廟の中には、履いている靴にビニールのカバーをかけて入ります。 中は、インドの人、海外からの観光客などで、混雑していました。 墓廟の左右には、向かい合う形で迎賓館とモスクがあります。
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消えたタージマハル
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入場チケット |
霧がなければこう見えるはず |
霧にかすむ南門(正門) |
近くで見る南門
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庭園の案内板 3つの門がある |
近くに寄ってもよく見えず |
> 廟の入口に行く階段 |
入口に通じる回廊 |
廟の入口 |
壁面の彫刻と象嵌細工 |
中は混んでいる |
王妃の墓 |
モスク |
迎賓館 |
モスクの回廊 |
祭壇 |
ここでもダンさんは休憩で、娘と二人だけで観光していたので、日本人の若い男性に声をかけられました。 いわゆるバックパッカーで、一人旅をしている彼、インドに来てから、現地の旅行社でホテルなどを手配してもらったそうですが、高いお金を払ったのに、超安宿に泊まらされた、とかなり怒っていました。 帰国後、ネットで調べてみると、現地の旅行社にだまされた、という話が結構あるようなので、ここはやはり日本の旅行社で予約して行くのが安心だと思います。 ほとんどの日本人は、人に騙されることを考えたりしていないので、いいカモなんじゃないでしょうか。 彼の写真を撮ってあげたり、モスクでは、トルコで覚えたイスラム式の礼拝の仕方を教えてあげたりして、彼とは別れました。
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〈アグラ城 =世界遺産=〉
アグラ城は、ムガール帝国の第3代皇帝であるアクバルが、1565年に着工し、8年後に完成されましたが、その後も代々の皇帝が増改築を繰り返して、現在の形になっています。 ここもまだ、霧がかかっていました。
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アグラ城 |
城門 |
謁見室 |
玉座 |
噴水 |
ジャハンギール宮殿 |
城壁とシャー・ジャハン帝が 幽閉されていた塔ムサンマン・ブルジュ |
その後、途中のレストランで昼食。 レストランの中も、とても寒いのですが暖房はしていません。 そこへ、お店の人が、炭を入れた容器(つまり火鉢)を持ってきてくれました。 ドライバーさんは外で待っていましたが、やはり薪を燃やすコンロのようなものを使っていました。
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レストランの入口 |
レストランの内部 |
火鉢 |
外では薪のコンロ |
〈ファテプールシクリ =世界遺産=〉
アグラから南西へ40km行くと、ファテプール・シクリです。 ファテプール・シクリとは「勝利の都」という意味で、1571年、ムガール帝国第3代皇帝アクバルが造り、ここに都を移しました。 壮大で美しい都ですが、水不足が原因で、わずか14年で、またアグラに戻ったそうです。
観光名所へ行くと、必ず、物売りが寄ってきます。 私たちは、いつもケチケチ旅行ですから、ほとんど買い物はしません。 「いらない」と断りますが、インドの物売りは、かなりしつこく、あきらめずにつきまとってきます。 ある場所で、ダンさんに、「物売りに付いてこないでくれと言ってほしい」と頼みましたが、彼は例の如く「俺がついてるから大丈夫」と言って、何もしてくれませんでした。 ここでは、彼がいかに頼りないかが発覚。 城内に入ると、日本で言えばヤーサン風の若い男がダンさんに近づいてきて、何やら話しています。 その後、ダンさんが、「物売りの店まで行ってくれ。行かないと、オレが怒られる」と言うのです。 地元の顔役みたいのに脅かされたと言うか、いつも、客を連れて行くのが恒例になっているのでしょう。 私が「何も買わないけど」と言うと、「買わなくていい」とダンさんはいいます。 それで済むはずはないだろうに、と思いながら、こわごわ、そこまで行きました。 お店があるわけではなく、建物の中の床に、ゴザを敷いて、土産物のようなものを売っていました。 ヤーサン風の男たちが何人もいてこわかったのですが、「これはどうだ、これいらないか」みたいなことを言われて、「いらない」と断ると、なぜか無罪放免にしてくれました。 今考えると、よく無事でいられたと思いますが、これはこれで、彼らの間に何か仁義みたいなものがあったのでしょうか。
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勝利の門 階段に野良ヤギが寝そべっている |
オートリキ車に乗って見学 |
物売りに連れ込まれたところ
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水で身体を清める |
3万人が入れたと言う広場 |
宮殿の中庭 |
パンチマハル(五重の塔) |
貴賓用謁見殿 |
宝物殿入口の彫刻 |
貯水池をかねたプール |
野生のリスがいっぱい |
馬車ならぬラクダ車 |
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〈ジャイプール〉
ラージャスターン州の州都ジャイプールは、人口305万人(2010年)の大都会です。 ファテプールシクリを3時に出発し、ジャイプールに着いたのは、午後7時ごろでした。 ホテルの近くに、派手なイルミネーションで飾られた建物があり、たくさんの人たちが行列をしていたので、何かと思ったら、結婚式だそうです。 お金持ちの人たちは結婚式は盛大に上げるそうで、その際、貧しい人たちに施しをするとか。 行列は、施しを受けるために並んでいた人たちでした。 食事をしていると、外で花火も上がり、それも結婚式の花火でした。 |
途中の町で見かけた結婚のパレード |
馬に乗った花婿 |
ジャイプールの結婚式会場 |
施しを受ける人々の行列 |
■ チップ強要でホテルの変更
ここで、今回の珍道中で、最大の事件が発生。 ホテルに着くと、ボーイさんが部屋まで荷物を運んでくれます。 私たちは、最初ムンバイで10ルピー上げたら不服そうだったので、それ以降はいつも50ルピー、上げていました。 ここでは、ドルはありましたが、ルピーは10ルピーしかなく、ボーイさんが部屋を出て行こうとしないので、仕方なく10ルピーを上げました。 すると、彼は「10ルピーなんて、少なすぎる」と、堂々と文句を言ってきました。 私たちが「今、ルピーがそれしかない」と言うと、「フロントで両替してこい」とまで言います。 なんてハッキリしてるんだろう、これも都会だからかな、などと思いましたが、その後、夕食をとるためにホテルのレストランへ行きました。 娘が忘れ物をして、部屋にひとりで戻りましたが、すぐに帰って来て「カードキーが使えない」と言います。 娘と一緒にフロントに「部屋のドアが開かない」と言いに行くと、フロントの男性が「両替をしなくていいのか」と聞いてきました。 おかしなことを言うと思いましたが、素直に両替をしました。 彼はコンピューターを操作して、「今、鍵を開けた」と言います。 使えないカードキーを交換しないのも不思議、と思いましたが、そのまま二人で部屋に戻りました。 すると、先ほどのボーイさんが部屋の前で待っていて、彼が持っていたカードキーでドアを開けて、「チップをくれ」と言いました。 「両替しないのか」と聞いた理由はこれだなと思いましたが、仕方なく50ルピーを彼に渡しました。 そこで、彼が言ったのは「部屋を開けて欲しいときは、俺を呼べ。いつも俺が開ける」 その言葉にビックリ仰天、これでは夜中だって、勝手に入って来られることになってしまう。 すぐにレストランで待っていたダンさんに、いきさつを話して、「ホテルを変えてくれ」と言いました。 彼は上司に確認すると言って、電話をかけて聞いていましたが、おそらく「俺の仕事なくなる、と困る」と思ったのでしょう。 夕食後、すぐに、別のホテルに変わることができました。 そのホテルも寒かったのですが、ダンさんが気を使ったのか、ホテルの人と一緒に、ごく小さな電気ストーブを持ってきてくれました。 即座に判断して行動したおかげで、何事もなくすみましたが、安全でモラルやルールがきちんと守られている日本が恋しくなってきました。
このホテルも、シャワーを浴びようとしたら水しか出ませんでした。 これは珍しいことではないので、そのまま我慢して寝て、翌朝はお湯が出たので、シャワーを浴びました。 このバスルームには天井近くに明り取りの穴があいていました。 普通は「窓」と言うべきでしょうが(笑)、これはガラスも何もない、本当に穴です。 私がシャワーを浴びていると、そこに鳩が飛んできて止まり、「クック―、クック―」と鳴いて、ずっと私を見ています。 私が鳩に向かって、「あっちへ行きなさいよ」とか「見るんじゃないわよ」とか言っても、飛び立ちません。よっぽど日本人のオバサンの裸が珍しかったのでしょうか(笑)
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ホテルの中庭 |
中庭はレストランになる |
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