1日目・成田〜デリー〜ムンバイ
〈成田までの珍道中〉

生まれついての天然ボケが年を重ねるごとに磨きがかかってきた娘と、単なるボケが年を重ねるごとに進んできた私のインド旅行は、出発前から珍道中でした。

インドへの入国はビザが必要です。
旅行会社がビザ申請も代行してくれるのですが、申請するにはパスポートが必要で、このとき娘は韓国に住んでいましたから、娘が帰国後、自分たちでビザ申請に行くことにしました。
インド大使館のHPを見ると、ビザ申請はインド大使館で行っていると書いてあるだけで(2月2日現在、確認するとHPが新しくなっていてビザのページは作成中でした(笑))、1月4日、二人で、九段下の武道館の隣にあるインド大使館へ出かけました。
ところが、大使館は人影がなく、受付のインド人中年女性に聞くと、コピーした地図をくれて、ここに行けというだけ。
ビザ申請は茗荷谷にあるインド・ビザ・アプリケーション・センターで、受け付けているということなのですが、HPには、はっきりインド大使館と書いてあるのですから、ほとんどの人がまず、この九段下に来るのでしょう。
受付の人は、飽き飽きしたような慣れきった態度でした(笑)
このアバウトさ、非合理さが、インド式かなと思いつつ、インドの洗礼をここでもう受けたようなものです。
ビザ申請の受け付けは午前中のみで、このときもう10時半過ぎだったので、あわててタクシーに乗って茗荷谷へ。
11時ごろにインド・ビザ・アプリケーション・センターには着きましたが、既に20人ほどの人がいて順番を待っています。
12時になったらそこで受付終了ということなので、運悪く、自分たちの番の一つ前で締め切られて、また明日出直してくるハメになるのではないかとヒヤヒヤして待つこと50分ほど。
ギリギリ、12時5分前に順番が来て受け付けてもらいました。
翌日、お昼のニュースを何気なく見ていると、画面にきのう行ったばかりのインド・ビザ・アプリケーション・センターが映り、「インドビザ申請センターで、申請者のパスポート22冊が盗まれる」と言っているのが聞こえて、「ええーーっ?!」と仰天。
良く聞くと、盗まれたのは1か月前のことで、どうやら公表していなかったのが、今頃バレたという感じ(笑)
「盗難については、コメントできない、としている」そうで、これもインド式かなと、思った次第です。

さすがインドは一筋縄では行かない、10日間無事で行って来られるかなあと不安に感じながら、出発の日を迎えました。
12時のフライトで、集合は10時です。
私の家の最寄駅から成田までは、直通の快速電車で35分ほどなのですが、それは1時間に1本。
その電車に乗るつもりで出発したのが、玄関のカギを締めてから、トイレの電気を消したかしらなどと(以前、旅行中、つけっぱなしだった)また戻ったりしたため、間一髪で電車に乗り遅れてしまいました。
ほんとに2〜30秒ぐらいの差で、日本のダイヤの正確さを恨みました(笑)
呆然としている私たちに、駅員さんが親切に、途中駅で別の線に乗り換える方法を教えてくれましたが、それでも遅刻になるので、旅行社に電話をかけました。
「30〜40分ほど遅れてしまうので、添乗員さんに伝えてください」と言うと、「この旅行は、お二人だけですから、添乗員は同行しません。飛行機に間に合えばいいので、ゆっくり行ってください」と、アンビリバボーな言葉が返ってきました。
そう言えばツアーのパンフレットには「2名様催行」とは書いてあったけど、まさか、ほんとにその2名様になるとは思ってもいませんでした。
インドは治安が悪いとさんざん聞かされているし、女だけで、それもボケボケコンビの二人っきりで、大丈夫なんだろうか。 「どうする?どうする?」と、オタオタする娘と私。
でも、今さらキャンセルできないし、仕方がない、とりあえず、次に来た各駅停車の途中駅終点の電車に乗りました。
そこから別の線に乗り換えようと思ったのですが、二人だけなら1時間遅れても問題ないので、そのまま次の快速電車を待つことにしました。
ホームがあまりにも寒いので、駅の外に出てコーヒーでも飲もうかと思いましたが、田舎の駅で、駅の周りには何もなさそう。
駅員さんに聞くと、コンビニならあると教えてくれて、こちらも親切に、切符は通さなくていいからと、改札口をフリーで通してくれました。
これは、トラブル続きでも、人には親切にしてもらえるという旅になるのではないかと、ポジティブに解釈して少し元気が出ましたが、やはり旅行社から今日まで何の連絡もなかったのが、納得できません。
コンビニで、温かいお茶を買って飲みながら、もう1度、旅行社に電話しました。
普通は、添乗員さんから前日に電話があって、いろいろな注意事項や現地の情報などを言ってくれるのだから、添乗員がいなくても、注意事項ぐらいは連絡してほしかった、それ以前に、こちらは女ふたりなのだから、2名だけで添乗員はいない、ということはまず教えてくれるべきではないのか、と訴えました。
その辺は、「はあ」とか「ええ」とかの返事しかなく、「両替は?」とか「チップは?」と聞くと、「現地のガイドやドライバーから、行く先々でチップを要求されたとか、最後にまとめて要求されたとか苦情がたくさんあるのですが、チップは旅行代金に含まれていますから、渡さないでください。」ということだけ、2、3度繰り返すばかりでした。
これを強調されたので、小心者の私たちは旅行中、チップにビクビクするはめになってしまったようです(笑)

とりあえず、飛行機には無事乗れて、まずはデリーに向かいます。
いいお天気で、機上からは、真っ白な雪をかぶった美しい富士山がくっきりと見えました。
富士山をこんな風に真上から見るなんてことは、いまだかつて経験したことがないので、なんだか幸先良く、もしかしたらとってもいい旅になるのではないかと、またまたお気楽に思った私たちでした。



機上から見る美しいフジヤマ


〈デリー空港で6時間〉

10時間半かかってデリー空港に到着。
日本との時差は−3時間半ですから、19時でした。
ここで、ムンバイ行きの飛行機に乗り換えなくてはいけないのですが、二人だけですので、ちゃんと乗り換えられるかどうか、不安です。
同じ飛行機だったインド人のビジネスマン風の若い男性がやはりムンバイに行くようだったので、娘が声をかけて、一緒について行っていいかと頼むと、快くOKしてくれました。
3ヵ月ほど、日本でIT系の仕事をしていたそうで、日本語はしゃべれませんが、とても親切な方でした。

ムンバイ行きの飛行機は、20:45発の予定でしたが、これが、なんと出発が4時間遅れるということで、理由はわからず、ゲートも決まっていないとのこと。
そう教えてくれた彼は、別にあわてる様子もなく、淡々としています。
他にもインド人の人達は、悠然と、本を読むわけでもなく、携帯を見るわけでもなく、居眠りするわけでもなく、ただじーっと待っていました。
これがインド式かと、また思いましたが、私たちはムンバイに23時に着く予定で、現地のガイドさんが空港に出迎えに来るはずです。
午前3時頃に着いて、果たしてガイドさんがちゃんと待っていてくれるのか、悠然としているわけにはいかず、ジタバタ。
現地の連絡先というところに電話してみましたが、つながりません。
夕飯が機内食のはずがそれも食べられずに、おなかも空いて来ました。
そこで、簡単に食事をしましたが、朝から、ビックリ、ハラハラの連続だったせいか、胃が痛くなってきてしまいました。
娘は、出発ロビーの椅子で寝ましたが、私は胃が痛くて眠れませんでした。

やっと午前1時くらいに、デリーを出発しました。
ムンバイに着いたのは午前3時過ぎ。 真夜中だというのに、たくさんの人がいて、出口にもガイドと思われる人たちがいっぱい待っていました。
そこをキョロキョロしながら通ると、私たちのガイドさんが声をかけてくれました。
これで、ほっと一安心。
デリーから一緒だったビジネスマンの方は、私たちがガイドさんと、迎えの車を待っている間も、ずっとそばにいてくれました。
後になってインド事情がわかってから思うと、私たちがだまされないかと心配して見ていてくれたんじゃないかと思います。
デリーなどでは悪徳旅行代理店もあり、だまされたという日本人旅行者も多いようです。
午前5時ごろ、やっとホテルに到着です。 ムンバイの町は夜が明けてきました。
家を出てから23時間余り経っています。

デリー空港待合室

真夜中のムンバイ空港

夜明けのムンバイ

このホテルにいたのは、結局3時間ぐらい。
でも皮肉なことに、全行程を通じて、一番設備のいいホテルでした。
シャワー室に仕切りがあり、ちゃんとお湯が出て、バスタオル・フェイスタオルがあり(この時はそれが当たり前と思っていたけれど)、エアコンもありました。
ポーターさんが部屋までスーツケースを運んでくれて、なかなか立ち去りません。
どうもチップを待っている感じなのですが、団体ツアーだとポーターさんにチップを上げる必要がないし、出発前に旅行社の人に「チップは上げないように」と言われたので、どうしたらいいかわからず、もうここでオタオタ(笑)
飛行機の中でツアーのパンフレットを読むと、5ルピー程度(1ルピーは、2010年1月現在で2.7円)と書いてあったので、10ルピー上げました。
明らかに不満そうに、じーっとお札を見る彼(笑) でも、そのまま黙って部屋を出て行きました。
「足りないのかな〜」と、またパンフレットを見ると、「2008年1月現在」と書いてあり、「せめて2009年の情報を書いてよ」とあせる私たち(笑)
日本円にするとほんとにわずかな金額ですので、もっと上げてもかまわないのですが、両替して持っている現地の通貨がなくなってしまっては困ります。
それにインドと日本では経済事情が違いますから、こちらの相場というのもあるでしょう。
何より日本人の庶民である私たちは、チップを上げると言う行為に慣れていない。
なんだか、恥ずかしいような、おどおどしてしまうのは、貧乏性だからでしょうか(笑)
労働に対しては、誰にも公平に、チップで補てんする必要のない充分な報酬が支払われるべきである!と思いますし、日本や韓国にチップの習慣がなくて良かったと、改めて感じた娘と私でした。



2日目・ムンバイ〜エレファンタ島〜オーランガバード
■ ガイドさんその1
2時間ほどしか眠れませんでしたが、ガイドさんと一緒に朝食を取り、8時過ぎにホテルを出発しました。
これから9日間、デリーまで同行してくれるガイドさんは、25才の男性で、名前はダンさん。
いろいろ不満や悪口も言わせていただきますので、さし障りのないように仮名にします(笑)
これまで、ギリシャ・エジプト、シリア・ヨルダン、トルコなどで、たくさんの現地ガイドさんにお世話になりましたが、みなさん、日本語も上手、知識も豊富で説明も詳しくわかりやすいという方ばかりでしたので、そうではないダンさんには驚かされ、困りました。
まず、日本語。ガイド歴3年だそうですが、かなり下手で、発音が聞き取りにくいし、こちらの日本語もあまりわかってなさそう。
言ってることがよくわからないので、質問するのですが、それが通じないのが一番困りました。
どこで日本語を勉強したのか、と聞くと、日本大使館の日本語教室だということで、先生は日本人女性で、その名刺も見せてくれました。
空港での自己紹介の時は、「ワタシは○○です」と言っていたのですが、その後、ちょいちょい、「オレ」と言うのでビックリ。
まず、ホテルの朝食のとき、「オレ、朝は食べない、チャイだけ」と、(聞いてないのに)自分情報の第一号も始まり、日本大使館では「オレ」なんて言葉を教えるのか、と首をかしげました。
それから、丁寧語の使い方を知らないようで、私たちに向かって、「チャイ飲むか?」とか、「写真、撮るか?」と聞いてきます。
私は、日本のテレビでは、よく外人タレントが、わざと「お前」とか「〜だよ」とか、目上の人に対して失礼な言葉をしゃべって笑いを取るのを見てますから、最初は気にならなかったのですが、娘はすごく嫌がります。
そう言われれば、娘の韓流ダンナ様は、ほんの片言の日本語しかしゃべれませんが、「僕」と言いますし、「〜でしょ」とか、娘の女言葉を聞いてるせいか、ちょっとオネエっぽい(笑)
日本語の先生が女なのに、ダンさんがどうしてこんなしゃべり方をするのか、と本当に不思議でした。

朝のムンバイ市内

インド門

タージマハル・ホテル

エレファンタ島行きの船

船から見るインド門とタージマハル・ホテル
〈エレファンタ島 =世界遺産=〉

この日は、世界遺産のエレファンタ島の観光です。ボンベイ湾の船着き場から、船に乗ります。
そこで、エレファンタ島を案内してくれる、ナヤナさんという女性のガイドさんと会いました。
インドでは、ガイドさんの担当地域が決まっていて、その地域以外のガイドが案内することはできないそうで、行く先々では現地のガイドさんが案内してくれました。
ナヤナさんは50代ぐらいの女性でしたが、とても親切で、知識も豊富なベテランのガイドさんでした。
この日(1月15日)は、ヒンドゥー教のお祭りの日だそうで、そのときに食べる、白ゴマをまぶした固いお団子のようなお菓子を持ってきて、私たちにくれました。
また、ムンバイでは部分日食だったようで、それが11時から3時までに間に起こるから、その前に昼食を食べなくてはいけない、だから自分はお弁当を持ってきた、と話してくれました。
ナヤナさんは「部分日食」という日本語を知らなかったようで、聞いた時はあまりよくわからなかったのですが、あとで、ホテルで出会った日本人の男性に教えてもらいました。
でも、太陽が欠けていることには、全然気づきませんでした。
船着き場の前には、ムンバイのシンボルであるインド門があります。
1911年にイギリスの国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して建造されたものです。
その隣がタージマハル・ホテル。 インド一とも言われる高級ホテルですが、2008年11月に起きたムンバイ同時多発テロの標的にされ、多数の客が殺されています。

1時間ほどでエレファンタ島に着くと、遊園地にあるような可愛い汽車に乗って、長い突堤を進んで行きます。
100段以上ある石段が、石窟寺院までの参道で、カゴ屋さんが客待ちをしており、左右にお土産物屋さんが並んでいます。
カゴと言っても、丸太2本に青いペンキで塗った木の椅子をくくりつけてあるだけで、それを4人で担ぐ、というものです。「乗るか」と聞かれましたが、乗ったら不安定で怖そうだったので、やめました。

エレファンタ島の汽車

遊園地の汽車のように可愛い

カゴ屋さん達

猿もいます

石窟寺院(世界遺産)

寺院内部

ガンガダラ・シヴァ

踊るシヴァ神

三面のシヴァ神

シヴァ神殿と守護神ダワルパラ

リンガ

頭の上に荷物を乗せて運ぶ女性

果物売り

エレファンタ島は6世紀から8世紀の間に作られたヒンドゥー教の石窟寺院遺跡で、16世紀にポルトガル人が発見し、1987年に世界遺産に登録されました。
祀ってあるのはシヴァ神で、壁には神話を描いた彫刻が多数あります。
三面のシヴァ神の彫像が特に有名です。
シヴァ神殿の中にあるのが、リンガというシヴァ神の象徴で、それはなんと男性器を表しているそうで、ほかの寺院でも見られましたが、このときは、なんのことやら、さっぱりわかりませんでした(笑)
あとから思うと、説明をするナヤナさんが、少し恥ずかしそうでした(笑)

船着き場のそばには、果物を売ってるおばさん達や、頭に水壺を三つ重ねて乗せて、写真を撮ったらそのモデル代を要求するおばさんなどがいましたが、インド女性の印象は、(1)働き者、(2)必ずサリーを着ている、です。
田舎の方で、畑で働いている人もサリーでしたし、長いサリーの裾を、Tバックのようにからげて、足をあらわにしている人も見かけました。
着物の裾を帯にはさむ「尻っぱしょり」みたいなものです。
また田舎の人や、貧しい人ほど、色鮮やかな派手なサリーを着ているような感じでした。
ガイドのナヤナさんも、もちろんサリーですが、黒地のシックなサリーで、都会的というかおしゃれでした。

日本から23時間もかかって到着し、2時間しか寝ずに船に乗り、100段以上の石段を上ったり下りたりしたためでしょうか、私は帰りの船に酔ってしまい、船のデッキの木のベンチで横になっていました。
その間、娘はナヤナさんにいろいろな話を聞かせてもらって、とても楽しく、また勉強になったようです。
眠っていた私は、聞くことができず残念でした。
ナヤナさんは、日本に1ヶ月ほど滞在していたことがあるそうで、日本の温泉と新幹線が素晴らしい、と言っていたそうです。
貧富の差が激しいインドでは、金持ちでなくては海外旅行には行かれない。
ダンさんも、その後に会った何人かのガイドさんも、日本に行ったことはなく、これからも行くことはないと言う人もいました。
1ヶ月も日本を旅行していたナヤナさんは、よほど裕福なんでしょう。
また、裕福だということは、カーストも上だということです。
ダンさんは、農民の出身で、実家には電気がないと言っていました。


〈ムンバイ市内〉


マリーン・ドライブから見た新市街とアラビア海


ムンバイはアラビア海に面したインド最大の商業都市で、人口は現在1360万人を超えていて、ナヤナさんの話では、毎日1200人ぐらいずつ人口が増えているとか。
真夜中のムンバイ空港の大混雑ぶりも、なるほどと納得です。
1995年に公式名称がボンベイからムンバイに変わりました。
マリーン・ドライブと呼ばれる海岸道路から見る新市街は、高層ビルが立ち並び、近代化されたインドを象徴するような眺めです。
「おくりびと」が外国語映画賞を取った去年のアカデミー賞で8部門を制したのは「スラムドッグ$ミリオネア」ですが、ムンバイが舞台となっています。
その中に、「俺たちが育ったスラムが壊されて、その上にビルが建てられている」というようなセリフがあります。
私たちが、たまたま、そういう所にしか行かなかったからなのでしょうが、今回の旅で訪れた街の中では、一番、整然とした、いわゆるインドらしくない街という印象でした。

■ガイドさんその2
ムンバイ市内に戻って、昼食を取るためにレストランに行きました。
私は、気持ちが悪くて胃も痛いので、何も食べられません。
ナヤナさんが、すごく心配してくれて、何か少しでも食べたほうがいいとか、水分を取れなどと、いろいろ言うので、チャイだけ飲みましたが、とにかく疲労困憊して、休んでいたい。
昼食後は、博物館とガンジーの家、ジャイナ教寺院に行く予定でしたので、娘も私も実はあまり興味のない博物館に行くのをやめることはできないかと、頼んでみました。
すると、ダンさんが、「決まった場所に行かないと、オレの仕事、なくなる」と繰り返し言うので、意味のわからない私たちは「はぁ???」
どうやら、ツアーで予定されている観光をせずに、それが旅行社に知られると、ガイドをクビになってしまうということのようです。
旅行中、だんだんわかってきたのは、ツアーを主催している日本の旅行社の下請けが、インドの旅行社。
ダンさんは、その現地旅行社に、フリーで雇われている、言わば孫請けのガイドさん。
インドまたは日本の旅行社へ、彼についてクレームが来ると、仕事が貰えないということなんじゃないでしょうか。
このあと9日間で、「オレの仕事、なくなる」というセリフは、何度か出てきたのですが、このときが最初でした(笑)
何かトラブルがあると、「会社に言うと、オレの仕事なくなる」しか言わず、「クレームをつけるなよ」という意味なんでしょうが、小心者の旅行者としては我慢するのみ(笑)
ナヤナさんが、私に、「娘さんだけ、博物館を見て、その間、お母さんは車で待ってますか? それなら、私が一緒にいてあげます」と言ってくれましたが、彼女の労働時間はオーバーしているようで、申し訳ないので、「娘と一緒に行きます」と答えました。
ダンさんとは正反対の、気配りと親切さに感激して、彼女のおかげで、ムンバイはいいところという印象が残っています。

ナヤナさんと別れて、プリンス・オブ・ウェールズ博物館まで行きました。
ホールに入って、そこに石造りのベンチがあったので、私はそこで座って待っていることにして、娘だけ見学をしに行きました。
座ってすぐに、また気持ち悪くなってしまったので、口を押さえてうつむいていると、ダンさんが寝ろと言います。
「え?ここで大丈夫なのかしら」と思いつつも、バッグを枕に、完全に横になると、たちまち警備員が3、4人やってきて、寝ている私を取り囲みました。
ダンさんに「こんなとこで寝るな。外で寝ろ」と言ったらしく、結局、外に追い出され、今度はそこにあるベンチにホームレス状態で寝ていると、それを見た娘が、あわてて戻ってきました。
なんとか持ちこたえて、次はジャイナ教寺院の見学です。
派手な花の飾りや象の彫刻で飾られた白い建物です。
ジャイナ教徒はインド12億人のうち200万人程度だそうですが、不殺生という厳しい戒律があって、空気中の小さい虫を吸い込まないように口を布でおおっているそうで、食べ物も植物しか食べないそうです。
信者は「寺院の中では裸」とダンさんが言って、「ふ〜ん、ヌーディストでもあるのか」と思っていると、また「中では裸」と言って、ニコリともせず、大きな目でじーっとこちらの目を見るので、困ってしまいました(笑)
とにかく、ダンさんは、同じことを2回か3回繰り返して言うのと、話すときに、じーっと相手の目を見つめる癖があります。
ジャイナ教寺院のある道の片隅には、路上生活者でしょうか、昼間から地面に寝ている人がいました。

マニ・バヴァンは、インド独立の父、マハトマ・ガンジーの住んでいた家で、記念博物館となっています。スペインの古い街の通りを思わせる美しい緑の並木がある通りに面した立派な家でした。


プリンス・オブ・ウェールズ博物館

博物館のホール

ジャイナ教寺院


マニ・バヴァンがある通り

路上生活者?

マニ・バヴァン(ガンジー記念博物館)

ガンジーのレリーフ

図書室

マニ・バヴァンを見学したあと、そのままムンバイ空港に向かいました。
5時の飛行機で、オーランガバードへと移動です。
オーランガバードには、6時半ごろに着き、そこから車で1時間。ホテルに着いたのは、7時半でした。
途中、オーランガバードの市内のごちゃごちゃしたところを走っているときに、ダンさんがいきなり、「オレの泊るホテルはここ!」と、またもや自分情報を言い、「え、別々のホテルなんですか?」と驚きました。
これはカーストの問題か、単なる経費節減かはわかりませんが、旅行中、ほとんど彼は別のホテルに泊っていました。
ここでの、私たちのホテルは、彼のホテルとはかなり離れた郊外にあって、たくさんの花が咲いた広い庭にプールもある、リゾートホテルでした。
こういうホテルでは、食事もダンさんは私たちとは別です。
私たちが食事をしているとき、少し離れたところをウロウロしているだけでした。
お金のためだけでなく、何かそういう差別があるのか、インドの身分制度の現実を見るようでした。

食事は、定番のカリーですが、種類はいろいろあって、それぞれ激辛、マイルド、味もバラエティに富んでいます。この日から9日間、昼・夜と食べ続けましたが、私は飽きませんでした。
また、私たちが、日本でナンと言っていたインド式パンは、ダンさんは「違う!違う!これはチャパティだ」と、何回も言っていました。
「オレは自分で作っている」「ナンは作らない」「粉が違う」と説明してくれるのですが、よくわかりません。
そして、この「違う!違う!」と激しく否定するのも、彼の口癖で、これも感じ悪くて、いつもムッとしてしまう私たちでした(笑)


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※ カースト制度
カーストは、ヒンドゥー教における身分制度である。上からバラモン(司祭・僧侶)、クシャトリア(王族・戦士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(農民・労働者)の4階級があり、その下にカーストに属さない不可触賎民がいる。不可触賎民とは、触るのも穢らわしいとされる人々で、1億人ほどいると言われている。
カーストは身分や職業を規定する。親から子へと受け継がれ、職業も世襲で、結婚も同じカースト内で行われる。カーストを変えることはできないが、現在の人生の結果によって次の生で高いカーストに上がることができる。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。
まさにカーストとはヒンドゥー教の根本的世界観である輪廻転生(サンサーラ)観によって基盤を強化されている社会原理と言えるものである。
1950年に制定されたインド憲法で全面禁止が明記され、また最下層の民を「神の子(ハリジャン)」と呼び、制度改善に取り組むものの、現在でも身分制度はヒンドゥー社会に深く根付いている。


 
  

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