6日目・カジュラホ〜オルチャ〜ジャンシー〜アグラ
〈カジュラホ寺院群 =世界遺産=〉

インドの中央部マッディヤ・プラデーシュ州にあるカジュラホは、10世紀〜13世紀にかけて栄えたチャンデラ朝時代の都です。
現在は、人口約5,000人弱の小さな村ですが、10世紀〜11世紀にかけて85の石造寺院が建立され、現在は25の寺院が残っています。
西、東、南の3つの寺院群に分かれていて、中でも西の寺院群が有名で、寺院の外壁は、ミトゥナ像(男女交合像)と呼ばれる官能的な彫刻で埋め尽くされています。
ミトゥナ像は、古代インドの性愛書 『カーマスートラ』 の、男女の性愛(カーマ)を追求し極めることで初めて解脱できる、という教えを表現したものです。

この日は朝霧が深く、車に乗っていても、道があまり見えないくらいでした。
翌日聞いた話ですが、この霧のせいで車の事故が起きて、観光に来ていた韓国人女性二人と、現地のドライバーさんが亡くなったそうです。
霧の中でも、乱暴な運転をしたのじゃないかなと思いますが、これまでの運転のことを思うと決して他人事ではありません。私たちが無事だったのは幸運でした。
カジュラホに着いた時も、寺院はまだ霧の中に霞んで見えました。

霧の中の東の寺院




ラクシュマナ寺院


シャーンティナータ寺院

西の寺院


高さ40mのカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院


ミトゥナ像

かなりエロティック

女性も巨乳





獅子の像


こぶ牛の像

イノシシ

壁の間を走るリス

お菓子を上げたら食べた


〈オルチャ〉

カジュラホとジャンシーの間にあるオルチャは、ベトワ川沿いの小さな村です。
ここには16世紀から18世紀まで、ラージプート族のバンデラ王国の都がありました。
ジャハンギール・マハルは、1606年にビール・シン・デオがムガール帝国の第4代皇帝ジャハンギールをもてなすためだけに建てた建てた宮殿です。
ガイドのダンさんは、なぜかそれが自慢のようで、「1日だけのために建てた」と何度も言うので、娘と私はおかしくなって、口真似して笑ったりしていました。
また、宮殿に皇帝が入城すると、宮中の女性が花を撒いて歓迎したようですが、そのことを「女の子、花、投げた」とこれも何度も言います。
ダンさんの日本語が気になるので、私が「女の子と言うと子供のことだから、女の人と言うのが正しい」と言うと、その時はわかったふりをするのですが、その後も相変わらず「女の子」でした(笑)

ここの登楼の屋根の上に鳥が何羽もとまっていましたが、ダンさんに「あれは何ていう鳥?」と聞くと、「鳩だ」と答えます。
どう見ても鳩ではないので、「あれは鳩ではないでしょう」と言うと、彼は「インドでは鳩と言う」と言い切ります。
おそらく、日本語でなんというのか知らないのでしょうが、これは彼の性格が悪いからだと思っていましたが(笑)、あとになって、インド人は、道を聞かれて知らなくても、知らないとは言わず、適当に教える、と知りました。
知らないと言うのは相手に悪いと思っている、とのことでしたが、私は、単に負けず嫌いなんじゃないかと思います(笑)

この宮殿は、昔と変わらぬ外観を留めており、上部からは、オルチャを一望する事ができます。

オルチャ


ジャハーンギール・マハル


ジャハーンギール・マハルの中庭

回廊

回廊の中から見る

城門の前で勉強する子供たち

インドでは鳩?
王国初期に建造された宮殿がラ−ジ・マハルです。
内部には数々の美しい壁画が残され、かつて隆盛を極めた都の面影を見ることが出来ます。

ラージ・マハル

屋内の美しい壁画

天井の模様

17世紀に建てられたチャトルブジャ寺院


現代の寺院 ラムジー・マンデル

ラムジー・マンデルの門前市場

お供物用の菓子

色粉を売っています

なぜか猿のおもちゃ

かみ煙草やお菓子を売っている

ベトワ川にかかる橋

川ではホテルのタオルが洗濯されて
岩の上に干してあった

川のほとりで暮らす路上生活者
子供とお母さんだろうか

ホテルの屋上から見るチャトルブジャ寺院

夕暮れ

ライトアップされたホテル


〈ジャンシーからアグラへ〉

アグラには、ジャンシーという町から列車に乗って移動します。
夕方6時発の予定でしたが、4時間以上遅れて、10時50分発となりました。
飛行機、汽車、なんでも遅れるのが当たり前のインドですから、仕方がありません。
待合室で4時間余り、待つことになりました。
ここで、たまたま日本人のツアーの団体さんに会ったのですが、彼らは、ガンジス河で有名なベナレスへ向かうそうですが、なんと丸1日、列車を待ってるとのこと。
いったい、どうしてそんなに遅れるのか、電車が遅れることがほとんどない日本から来た者には、全く理解できません。
4時間遅れるなんて、日本で言えば、4分ほど遅れると言うのと変わりがないんでしょうね。

駅の待合室は男性、女性が別々の部屋に分かれています。
ダンさんと別れて、娘と私たちは女性用待合室にいました。
列車が遅れているせいで、中はかなり混んでいて、日本の女子高生ぐらいの若い女の子のグループもいました。
そこへ、見るからに下層階級風の若い女の子が、赤ちゃんを抱いて入って来ました。
赤ちゃんにおっぱいを上げているので、母親には違いないのですが、どう見ても、14、5歳くらいにしか見えません。
そのうち、彼女は急に赤ちゃんを激しく揺さぶりながら、大声で叫び始めました。
見ると、おそらくひきつけを起こしたんだと思いますが、赤ちゃんが硬直して動きません。
ほっぺたを叩いたりしても動かないので、知識のない娘は「死んじゃったの?〜」と半泣き状態です。
少しして、赤ちゃんが身動きしたので、その女の子は赤ちゃんを抱いて外に出て行きました。
その間、彼女より上層階級らしい女の子たちは、その騒ぎを見向きもしませんでした。
まるで何も見えず、聞こえないかのように、驚いたりはもちろん、チラとも見ないのです。

インドの遺跡やお寺に行くと、そこには必ず、お掃除の人がいます。
彼らは、カーストの階級にも入れない不可触賎民だそうで、仕事は掃除人、洗濯屋などに限られています。
私たちは、彼らに出会うと、「おはよう」「こんにちは」などと声をかけていましたが、ダンさんは絶対に彼らとは口をききません。
ダンさんは農民出身ですから、カーストでは最下層なのですが、それでも口をきかないのですから、待合室でちょっと上層階級のような女の子たちが、口をきかない、見ようともしない、のも当たり前のことなのでしょう。
娘は、人の命がかかってるような時に、誰も助けようとしないばかりか、彼女が存在していないかのように無視する、その非情な差別意識に大ショックを受けて、泣きだしてしまいました。

二人で待合室から出ると、ホームには水たまりがあり、その水が赤いのです。
娘は、「血がこんなに流れてる〜!」とさらにショックを受けてパニック状態。
私は、これは血ではなく、万が一、血だとしても人間の血ではないと思って、娘に言いましたが、パニック状態の娘は聞き入れません。
そこへダンさんが来て、その赤い水たまりは、噛み煙草を噛んで、吐いた唾で赤く染まっているのだ、と教えてくれました。
彼は、泣いている娘をなだめるつもりか、いつものように「チャイ飲むか?」と聞いてきます。
「いらない」と断ると、今度は笑わそうと思ったのか、「宮殿は1日だけのために建てた」とお得意のセリフをいいます。
彼が本来はやさしい人だとわかる行動でしたが、それぐらいでは娘の気持ちは癒されません。
宗教や慣習に基づいた階級制度は、人々を分断し、格差を広げ、支配者にとっては都合の良いものであり、これがあるために、インドは一流大国となり得ないんだな、と思いました。

私たちが乗った列車は、インドの新幹線と言われていて、シートは綺麗で、機内食のように食事も出ました。でも、床は食べ残しや紙クズなど、ゴミだらけで、ゴキブリもチョロチョロ走っていました。
これなら、食事なんか出さなくていいから、もっと車内を清潔にして、時間通り走るべきだと思います。
こんなに電車が遅れたりするのでは、ビジネスにも支障が出て、そのせいもあって、経済発展がいまいちなんじゃないでしょうか。

ジャンシー駅

女性用待合室

シャタプティエクスプレス

食事の食べ残しがそのまま

パン

スープ

 
  

ムンバイ  エローラ〜オーランガバード  アジャンタ〜ボパール  サンチー  カジュラホ〜オルチャ
アグラ〜ファテプールシクリ  ジャイプール  デリー  TOP






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送