パロ郊外


【タクツァン僧院】
パロ郊外にあるタクツァン僧院は、切り立った岩山の崖の上に造られた僧院で、今日は、歩いてそこまで登ります。朝8時ごろ、あいにくの雨模様の中、車で登山口まで行きました。
ガイドさんは駐車場と言っていましたが、車より馬の方が多い林の中が出発地点です。
ここで既に標高2400m、僧院は標高3000mのところにあるので、登るのはわずか600mですが、写真でわかるように、ほとんど垂直の断崖絶壁の上にあるので、山歩き初心者の私たちは途中、休憩しながら3時間ぐらいの予定で登ります。
週に1回は登るというガイドさんだと、1時間ぐらいで着くそうです。


馬も一緒に出勤?

登山口の林

正面の岩山の上のほうに、かすかに僧院が見えます


下の方は霧がかかって見えません


3分の1ぐらい行くと、マニ車のある祠が見えてきます

マニ車と祈りの旗


休憩所

カフェでお茶を飲んで休憩

カフェの正面に見えるタクツァン僧院

道はさらに険しくなる

前を行くのはマレーシア人の観光客

犬も登る

馬は意外と苦しそう

馬に乗って登るタイ人観光客(偶然にもタイからの飛行機で一緒だった)

頂上まで観光客を乗せて行った帰りの馬たち
このあと、ぬかるみに足を取られたのか
馬が1頭、下の道に落ちてしまい大騒ぎ

僧院のお坊さんたちでしょうか

木々の間から見える幽玄な僧院


僧院が見渡せる展望台

タクツァン僧院は、ブータンにチベット仏教を伝えたグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)が8世紀に建てたと言われています。
しかし、1998年に火事で全焼し、2004年に再建されました。
グル・リンポチェは、虎の背中に乗ってやってきたと言われており、タクツァンとは「虎の巣」という意味です。グル・リンポチェが瞑想していたという虎の穴と呼ばれる洞窟などが見学できます。
雨でぬかるんだ道なき道を登り切ったところにある展望台から、さらに何百段もある石段で谷底に降り、また石段を登って、やっと僧院に着きます。
標高が高いせいもあるのか、私はかなり息切れがして、僧院にたどり着くのがやっとで、虎の穴は娘だけが見に行きました。
でも手前の展望台で帰る人や、歩けなくなってガイドさんにおぶって貰ってる中国人のオバさんもいたので、私はよく頑張った方だと思います(笑)
途中、一緒になったマレーシア人のおじさんが、私に「お母さんじゃなくてお姉さんでしょ」とかお愛想を言ってくれましたし、他の観光客に付いていたガイドさんが、「地震はどうだったか、大丈夫か」と気遣ってくれたりしました。

展望台から見る僧院


僧院に行くには谷底に降りてまた登らなくてはいけない

谷底に降りる石段

谷底の道

キラを着て飛ぶように山道を降りて行く地元の女の子たち

担がれているオバサン

崖の上から滝が落ちている


下から見る僧院


僧院の門


間近で見る僧院


僧院から見るパロ郊外


午後2時、行きにも寄った途中のカフェで昼食をとり、
その後1時間弱で出発点の駐車場に戻りました




【ドゥゲ・ゾン】
ドゥゲ・ゾンはパロの北側、チベット寄りのところにあります。
17世紀前半に、チベット軍の侵攻を撃退し、次の侵攻を防ぐ目的で建設されたゾンです。
しかし、1951年の火災で焼け落ち、それ以来廃墟になったままです。














ドゥゲ・ゾンから見る村。山の向こうはチベット。





この村から、ヒマラヤのトレッキングに出発するそうです






おわりに

 
 
これを書いているのは、2014年2月ですが、ブータンに行ってから3年近く経ちました。
私たちが行ったときは、まだ古き良き伝統文化が守られており、ガイドさんのように若い人でも穏やかに身の丈に合った暮らしをしているという感じがしました。
外国文化もあまり浸透していないようでした。
その後、テレビやネットを通じて、外国文化が伝統文化に取って変わり、2013年には政権交代が行われたとのことですから、政治理念も変わったのではないでしょうか。
気にかかかる記事がありました。

最近、世界の国々を見ていて思うのは、良い政治と言うのは、真に国民の幸福を願う善良なる独裁者によるものしかないのではないか、ということです。
環境と伝統文化を重んじた国王の政治の時代にはブータンは鎖国状態にあり、悪しき外国文化に毒されることはなかったのですが、民主化されてからは、先進国と同様の道をたどっているのではないでしょうか。
経済重視の政治により、若者は農業を嫌い、よりお金が儲かる仕事を求める。
当然、希望の職種に就けない若者が増え、経済格差も広がる。
人心は荒れ、インドなどから薬物が入り込み、若者をむしばむ。
資本主義の国で、既に起きていることがブータンにも起きかけているのではないかと思います。
現代の桃源郷だったブータンが失われつつあることに、哀しみを覚えます。

2013年06月26日 (AFP=時事通信)

「幸福の王国」ブータンで苦しむ若者たち

 そこは「最後の理想郷」として知られている──美しい自然と仏教文化あふれるヒマラヤ奥地の国、国民の幸福が経済成長より重視される所。
 だがそのバラ色の評判に、ブータン王国の都市に暮らす若者たちは迷うことなく異議を唱える。
「人びとが幸福でないことは見てとれる」と、ソーシャルワーカーのジグメ・ワンチュクさん(24)は語る。薬物依存から立ち直ったワンチュクさんは、首都ティンプーにある薬物依存の若者たちの相談所で働いている。
「私たちはとても多くの課題に直面しており、多くの人が苦しんでいる」

 飲酒、特に米の自家醸造酒は長らくブータン文化の一部だった。だが、国家統計局の昨年の報告書によると、アルコール性肝疾患がティンプーの主要病院における死因の上位を占めるようになった。
 また、何世紀もの間にわたって世界で最も孤立した国だったブータンが近代化するにつれ、若者による薬物乱用、特に調剤の乱用が大きな問題になってきている。
 ブータンは1974年に初めて外国人観光客の入国を認め、1999年に初めてテレビを、2008年に初めて民主主義を認めた。
 今でもブータンは外国人に別世界のような印象を与える──職場や学校へ民族衣装で通う人びと、息を呑むような景観に点在する僧院やマニ車、政府庁舎として使われる古い要塞。
 だが、伝統社会の網の目は、ほつれ始めている。
「犯罪率は年々高まっている。空き巣や強盗などは10年前にはほとんど無かった」
と、ダンバー・K・ニロラ氏は語る。人口75万人足らずのブータンに2人しかいない精神科医の1人だ。
「現在直面し、今後ますます大きくなるであろう最大の問題は、失業だ。失業とともに、薬物とアルコールの問題も来る」

 こういった問題が、「国民総幸福量(GNH)」をトレードマークにしている国で起きていることは、意外かもしれない。
 国民総生産(GDP)を重視する諸外国と異なり、ブータンのGNHは、環境と文化を守り、良き統治を目指し、持続可能な社会・経済の発展を追求するものだ。精神と物質の両方の豊かさのバランスを取ろうというこの観点は世界の注目と称賛を集めた。
 だが、GNHの基本コンセプトはブータン国内でも支持されているものの、その実際の運用には疑問も投げかけられている。
「この国の問題を見る限り、GNHがこの国にあるとは思えない」
と、学生のジャミャング・ツェルトリムさん(21)は語る。
 ツェルトリムさんの最大の懸念は、多くの人と同じく、ブータン国内に若者向けの望ましい雇用がないことだ。しかもブータンの年齢中央値は26歳。今後さらに多くの人びとが生産年齢に到達する。
 民間事業が発達していないことから高学歴のブータン人向けの事務職はごく限られている。一方で、成長する建設産業での手仕事は、国境を越えて来るインドの労働者が大半を担っている。
「雇用の需給がマッチしていない」
とニロラ医師は語り、若者層が農業をしなくなっており、高齢者が農業を続けていると付け加えた。
 問題の背景にあるのは、ブータンが隣国インドに投資、支援、輸入で大きく依存していることだ。昨年、過剰な需要の結果、ブータンはインドルピーが枯渇し、結果として大規模な信用危機が起きた。
「このとき、多くの人がGNHを厳しく非難するようになった。私たちの政府首脳陣はブータン国外でGNHを紹介することの方に興味があるのだ、とね」
と、ブータニーズ紙の編集者、テンジン・ラムサング氏は語る。
 ラムサング氏は、GNHが「高度に知的な」コンセプトとしてエリート層の支持を獲得する一方、国民の大半からは十分な支持が得られていない中で、政府首脳陣は悪化する国内問題を「見ないふりをする」ようになったのだと指摘する。
 一方、GNH指標を考案したシンクタンク「ブータン研究センター」の研究者、ペマ・ティンレー氏は、「ユートピア国家」を求める非現実的な期待により、GNHが不公平な非難を浴びていると反論する。
「GNHはブータン国民全体の目標であり、達成しようと目指しているものだ。現時点でブータンがGNHを達成したとは誰も言っていない」
とティンレー氏は語った。


2016年1月19日

若者の薬物・アルコール依存

 国民総幸福量(GNH)の増大を国家理念に掲げるヒマラヤの小国ブータンで、若者の薬物依存や高い自殺率が問題となっている。経済発展に伴い都市化が急速に進んだことが背景にあるとみられる。昨年のGNH調査では9割以上が「幸福」と答えたが、「社会的孤立」が深まっているとの指摘も出た。「ブータンだって他国と同じ普通の国だ。誰もが幸せなわけではない」。「幸福の国」を歩くと、そんな声も聞こえてきた。

 門をくぐると、寒空の下、ジャンパー姿の男性たちが工具を使って木工作業に汗を流していた。西部パロ郊外に2013年に開設されたリハビリセンター。10?60代の男性22人が薬物やアルコールの依存症の治療に取り組む。「3カ月間共同生活を送り、瞑想(めいそう)やカウンセリングを通じて回復と社会復帰を目指します」。管理人のキンレイ・ツェリンさん(24)が言った。

 2カ月前に入所した男性(18)は14歳のときに薬物に手を出した。学校の寮で友人にボトルに詰めたガソリンの吸引を勧められたのがきっかけだった。間もなく酒や大麻もやるようになり、トイレや林の中で仲間たちと隠れて吸った。「嫌なことを全部忘れられた。その時だけハッピーになった」
 北部プナカ出身。近くに学校がなかったため、7歳から寮生活を始めた。当時は「幸せな人生」だったが、2年生のときに父が浮気して家を出た。母は再婚し、継父との間に妹も生まれたが、寂しさは埋まらなかった。家庭の問題や将来への不安。こうした要因が重なってますます薬物に頼るようになり、一日たりとも手放せなくなった。リハビリセンターは家族の紹介で知り、薬物を断つ最後のチャンスだと思って入所した。「人生の過ちだった。後悔している。治療して勉強を続けたい」
 警察の統計では、14年に薬物事件で検挙されたのは711人(前年比26%増)で増加傾向にあり、このうち6割以上が24歳以下だった。人口1万人当たりの検挙人数は9人余りで、日本(概算で1万人当たり1人程度)の9倍以上だ。11歳から大麻を吸い始めたティンプー出身の男性(19)は「中学校では約30人のクラスで、3分の1ぐらい大麻をやっていた」と語る。
 ブータンでは、ヘロインや覚醒剤などのいわゆる「ハードドラッグ」は少ない。若者たちが使うのは、国内に自生する大麻やインドから密輸される鎮痛剤だ。麻薬規制庁のドルジ・ツェリン氏によると、錠剤はインドで8錠50ヌルタム(約90円)で仕入れたものがティンプーで1錠250ヌルタム(約450円)程度で売られている。ツェリン氏は「マフィアのような大きな組織はないが、個人のネットワークで広がっている」と話す。
 若者はなぜ薬物に走るのか。「経済発展で競争社会となり、若者のストレスが増えている」。リハビリセンターを運営するNGO「CPA」事務局長で、自身も薬物依存を経験したツェワン・テンジンさん(39)はこう指摘する。
 ブータンは1999年、テレビ放送とインターネットサービスが始まり、外国の情報が入るようになった。03年には携帯電話も登場し、今はスマホでフェイスブックを利用する若者も珍しくない。テレビやネットで首都の情報に触れ、憧れを抱いて移住するケースも多く、郊外ではマンションの建設ラッシュが続く。
 しかし、首都でも政府や企業の雇用人数は限られており、仕事につけない大卒者も多い。世界保健機関(WHO)の12年統計では、人口10万人当たりの自殺者数は世界21位の17・8人で、同18位の日本(18・5人)に迫る勢いだ。テンジンさんは「高等教育を受けても仕事が少なく、若者の間で将来への不安が増している。共働きの家庭が増え、親が子供の相手をする時間も減っている」と話す。
 飲酒文化が根付いていることも要因に挙げられる。東部出身の観光ガイドの男性(32)は「11歳ごろから『ヘビが酒のにおいを嫌うから飲むように』と母親に焼酎を持たされ、飲みながら学校まで通った」と語る。間もなく、たばこや大麻を始めたが、抵抗はなかったという。

 ブータンは70年代、先代の第4代国王がGNHの概念を提唱した。08年に公布された憲法でも「国はGNH追求に必要な条件の促進に努めなくてはならない」と定められている。
 ブータン政府は昨年、日本の国際協力機構(JICA)の協力で3回目となる全国的なGNH調査を行った。約7150人に対し、政治▽経済▽文化▽環境の4分野148項目について質問し、回答を点数化。合計点数に応じて(1)とても幸せ(2)おおよそ幸せ(3)少し幸せ(4)不幸せ??の4段階に分類した。
 その結果、(1)〜(3)の該当者は前回(10年)比1・6ポイント増の91・2%に上った。しかし、項目別では、家族や友人、隣人との関係性が希薄化しているとの傾向も明らかになり、トブゲイ首相は昨年11月の国際会議で「農村部の高齢者や都市部への移住者が抱える社会的孤立と闘う必要がある」と指摘した。

 ブータンは大自然に囲まれた小さな国だ。公立の学校や病院は無料で首都にも物乞いはほとんどいない。民俗衣装や独自の礼儀などの伝統は生活の中に息づいており、相互扶助の文化も残る。JICAブータン事務所の朝熊由美子所長は「車がエンストしたら周囲の人が押してくれるような社会。大企業が少ない分、格差も少ない」と語る。
 だが、社会が急速に変わっていく中、政府は若者の自殺や薬物依存など新たな問題に直面しているのも事実だ。CPAのテンジンさんは警告する。「今は確かに多くの人は幸せと言えるだろう。だが、若者の薬物やアルコール依存の問題を無視したら、GNHはきっと減っていくことになる」
<ブータン・ティンプー 金子淳>



  


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