《カンボジア》 アンコール・トム =世界遺産=

 

アンコール・トムは、クメール王朝が頂点を極めた12世紀末に造られた城塞都市です。
一辺が3kmの濠と、8mの高さの城壁で囲まれています。
南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門があり、中央には、バイヨンがあります。


◆ 南大門

アンコール・トムの入口 130mの橋を渡ると正面に南大門がある



橋の左側には神様の像、右側には阿修羅像が並んでいる


左右に像の彫刻がある南大門



◆ バイヨン

アンコール・トムの中心寺院であるバイヨンは、12世紀後半から13世紀にかけて、3人の国王によって建築、増築がされたヒンズー教寺院です。
中央祠堂の周囲に16の四面仏塔が立っています。

※ 堂本光一さんのミュージカル「Endless SHOCK」の『ジャングル』というシーンに、タ・プロームのガジュマルの木と、下の写真の左側の石像にそっくりの石像があるセットが使われています。


四面仏塔群と中央祠堂


四面像は観世音菩薩を彫ったものとされ、“クメールの微笑み”と呼ばれています。
ガイドさんは、「日本人はこれを見るとみんな、漫才師に似てると言います」と言うのですが、確かに京唄子さんに似ているようです(笑)

京唄子さん似の四面仏

第一回廊のレリーフ


第二回廊



◆ バプーオン

パプーオンは11世紀に建てられたピラミッド型寺院です。
バプーオンとは「隠し子」という意味で、昔シャム(タイ)がカンボジアに侵攻したときに、カンボジア王妃は王子をこの寺院に隠した、という伝説が名前の由来だそうです。
東塔門を入ると、装飾の施された円柱の上に敷石が並んでいる「空中参道」が あり、その長さは200mもあります。
寺院は修復中なので入ることはできません。
バイヨンからバプーオンに向かって歩いている時に、突然、激しいスコールに見舞われました。
ガイドさんは、車から傘を取ってくるからと、私と娘に、空中参道の下で待っているように言って、車に戻りました。
確かに、雨宿りには恰好の場所で、物売りの子供たちも3人ぐらい、駆け込んできました。
ちょうどそこにはお客もいた、というわけで、子供たちが次々にお土産品を売りつけてきます。
私は扇子を買ったりしましたが、参道の下では雨でも商売ができる、というわけですね(笑)


修復中のバプーオン


空中参道

スコールの水煙で、あたりが見えないくらい

空中参道の下で雨宿り



◆ ピミアナカス


王宮内にある王族のための寺院 10〜11世紀に建てられた


雨上がりで水がたまっている 手前はガイドさん



◆ 象のテラス


王宮広場


12〜13世紀に建てられた王宮正面入り口のテラス

象の彫刻

こちらにはテラスを支える奴隷の彫刻



◆ ライ王のテラス


13世紀に造られたテラス

壁面全体を覆う彫刻

テラスの上にあるイケメンのライ王の像



◆ アプサラダンス ショー

アプサラダンスは、クメール王朝初期の9世紀から宮廷で踊られていたと言われる古典舞踊。
クメール王朝が滅亡した15世紀に、舞踊団はタイへ連れ去られてタイ舞踊となりましたが、20世紀にクメール文化復興運動とともに復活しました。










カンボジアのガイドさんはビジェットさんという25才の男性でした。
とても真面目で優しい方で、日本語が上手で、いろいろな話をしてくれました。
彼は12才から働いていて、現在は、働きながら夜間大学へ通っているそうで、学費は年間4万円とのこと。
日本語はお坊さんに習ったそうで、日本語ガイドは2年やっているそうです。
カンボジアには700人のガイドさんがいるそうですが、実際に働いているのは300人だけ。
日本の不景気のせいか、日本人観光客が減っているそうです。
今は、中国人観光客が増えたそうですが、公徳心に欠けていると、ビジェットさんも言っていました。
また、彼はある遺跡で、韓国人の団体客と出会ったとき、「違う道を行きましょう」と、道を変えました。
理由は「大声でしゃべっていて、うるさいから」だそうです(笑)
ガイドのコンテストのようなものがあり、優勝すると日本に行かせてもらえるそうで、ビジェットさんはそれを目指して頑張っているそうです。
彼のお兄さんが優勝して日本に行ったことがあって、一番驚いたのは、空港のトイレだったとか。
シャワートイレが珍しくて、ずっと水を出したり止めたりして30分も遊んで、外に出てみたら、トイレのドアの前に行列ができていたそうです(笑)

カンボジアの平均寿命は、男性60才、女性65才で、男女とも60才を過ぎると頭を剃る、とのことですが、「じゃ、私剃らなきゃ」と言うと、娘は大笑い。
結婚は男性が女性の家に入る、婿入り婚だそうで、嫁いびりならぬ婿いびりがあるそうです。
働きが悪いと嫌味を言われ、追い出されることもあるとか。 婿はつらい、とのことでした。

カンボジアは1970年から1990年まで内戦が続き、1975年〜1979年のポル・ポト政権下では100万人以上の国民が、戦闘や虐殺、飢餓で命を落としました。
今も地雷原が残り、手や足を失った人も多くいます。
ビジェットさんのお母さんは50才。
7人姉妹だったそうですが、内戦で家族を殺され、15才から一人で暮らしていたそうです。
今は、優秀な子供たちに恵まれて、幸せなことでしょう。
ビジェットさんのおかげで、楽しい旅ができました。
ぜひ、コンテストで優勝して日本に来てもらいたいものです。





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