ブルーモスク


イスタンブールは、東ローマ帝国、オスマン帝国合わせて1000年もの間、都として繁栄してきた街です。
旧市街にある、イスタンブールの繁栄と衰退を象徴する歴史的建造物群は、世界遺産に登録されています。

ブルー・モスクは、第14代目のスルタン・アフメット1世によって1610〜1616年にかけて建設されました。
正式名称は、スルタンアフメット・ジャミイですが、モスクの内部を彩る青いイズニック・タイルの美しさで知られ、「ブルー・モスク」の愛称で呼ばれています。
世界で唯一、6本あるミナレット(尖塔)が特徴で、アヤソフィアと対峙するように立っています。


6本のミナレット(塔)を持つブルーモスク


モスク内部


ステンドグラスとランプが美しい


モザイク壁画




ドームの天井


モスクの庭




  アヤソフィア


直径31m、高さ54mのドーム型をした、世界で4番目に大きな教会です。
4世紀にローマ帝国コンスタンティヌス2世によって、ギリシャ正教の総本山として建設されましたが、その後焼失し、6世紀、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝によって再建されました。
15世紀にオスマントルコに征服されると、ミナレット(尖塔)が付け加えられ、イスラム教のモスクとなりました。
現在はトルコ共和国の博物館となり、1935年以来、一般に公開されています。
内部は30年間、修復が続いていますが、それはキリスト教徒たちが、教会へ改装することを要求しているからで、ただしトルコ人の90%はイスラム教徒なので、時の政治家たちが決めかねているからだそうです。
少数派のキリスト教徒の意見が無視されないのは、トルコでは一番の富裕層だからとのことでした。
内部には、キリストのモザイク画と、イスラム教のメッカの方向を示すくぼみであるミフラーブが共存しています。


アヤソフィア外観


内部は30年間修復中


ドーム天井の聖母子像


聖母子と皇帝家族


モザイク画「請願図」


黄金のモザイク画「キリストと女帝ゾエ夫妻」


説教台


メッカの方角に造られたミフラープ


ベルガマの壺


湿った円柱
穴に親指を入れたまま手を一回転できると
願いごとが叶うといわれています


  地下宮殿


アヤソフィアの近くには地下宮殿があります。
宮殿と呼ばれていますが、本来は、6世紀ユスティニアス帝の時代に造られた、水を貯めておく巨大な地下貯水池でした。内部には、360本に及ぶコリント式列柱が並び、まさに地下宮殿の様相です。
奥の方には、メデューサの首を土台として建てられている2本の柱があります。

ヴァレンスの水道橋は、旧市街のアタチュルク通りをまたぐようにして架かる巨大な水道橋です。
378年、ヴァレンス皇帝の時代に完成し、郊外から宮殿などのある中心部の地下貯水池(地下宮殿)まで水をひきました。


内部




柱の土台の横向きのメデューサの頭


さかさまのメデューサの頭


ヴァレンスの水道橋


  トプカプ宮殿


1453年、オスマン帝国のスルタン・メフメット2世はコンスタンティノープル(イスタンブール)を攻略します。
1465年、この町をオスマン帝国の新たな首都にしたメフメット2世は、四方を見渡すことのできる丘に宮殿を建設しました。
トプカプ宮殿のテラスからは、ボスフォラス海峡と金閣湾、マルマラ海の三つの海が一望できます。


表敬の門


会議の間


スルタンの間


ハーレムのモザイクタイルの壁


ハーレムの部屋


螺鈿細工の扉


割礼の間


宮殿の窓から見える市街


テラス


金閣湾・ボスフォラス海峡・マルマラ海が一望できる



  リュステムパシャ・モスク


リュステム・パシャ・モスクは、大宰相リュステム・パシャの死後、1561年から1563年頃にかけ建築されました。
膨大な量のイズニックタイルで、ポーチや、ミフラーブ、壁、円柱まで覆われている小さいけれど美しいモスクです。




モスク入り口


モスク内部


青いイズニックタイル


  イスタンブール市内



グランドバザール入口


グランドバザールの通り


たくさんのお店が立ち並ぶ




海岸通りのレストラン


マルマラ海


レストラン付近の商店街


ポスターと同じポーズをとるアイスクリーム屋さん


シルケジ駅


オリエントエクスプレス


オリエントエクスプレスレストラン


  テオドシウスの城壁


テオドシウスの城壁は、413年に築かれたイスタンブールの旧市街を取り巻く城壁です。
東ローマ帝国の時代にには鉄壁の防御を誇り、後代はイスラム教勢力からの主城壁として機能しました。
現在、城壁はミレット通りにより分断されていますが、かなりの場所の城壁が残っており、かつての強大さが偲ばれます。











  ボスフォラス海峡クルーズ


イスタンブール2日目の午前中は、オプショナルツアーでボスフォラス海峡のクルーズに出かけました。
お天気が良く、海風がとても気持ち良かったです。


船着き場付近







ドルマバフチェ・ジャミイ


ドルマバフチェ宮殿


ルメリ・ヒサール


オルタキョイ・ジャミイと第1ボスフォラス大橋


第2ボスフォラス大橋(ファティフ・スルタン・メフメット大橋)


【トルコ自爆テロ】 2016年1月13日
市民「治安悪化の一方」 観光名所、厳戒態勢 実行犯、最近シリアから入国

トルコの最大都市イスタンブールで起きた自爆テロで、クルトゥルムシュ副首相は12日、シリア出身とされる過激派組織「イスラム国」(IS)メンバーの実行犯が最近になってシリアから入国したものの、監視対象にはなっていなかったと明らかにした。爆発現場はユネスコの世界文化遺産にも登録され、普段は外国人観光客らでにぎわうが、12日は警察が現場付近を封鎖し、小銃を持った警察官らが厳戒態勢を敷いていた。
 「写真を撮るな。近づくな」。事件から約10時間後の12日夜、現場付近を訪れると、規制線の外に立つ警察官が記者を制した。周囲には国内外のテレビ局の中継車約10台が並び、現場リポートをしていたが、観光客はほとんどいない。レストランや土産物店の客もまばらだった。
 爆発は12日午前10時半ごろ、スルタンアフメット・モスク(通称ブルーモスク)とアヤソフィア博物館に挟まれた広場で起きた。目撃者によると、救急車30台以上が到着し、広場に横たわる遺体や負傷者を収容。爆発の約5分後には警察が現場の封鎖を始めた。スルタンアフメット地区では昨年1月にも警察署を狙った自爆テロ事件があり、警戒を強めていた模様だが、テロを防げなかった。
<  ロイター通信によると、10人が死亡し、15人が負傷。犠牲者のうち9人はドイツ人、1人はペルー人だった。
 現場近くで経営するレストランの店内にいたファルク・チョルパンさん(43)は「ボーンという音がした直後、地震のような揺れを感じた。外を見ると、広場から観光客が雪崩をうって逃げていた」と証言する。
 近くの土産物店で勤めるカヤサさん(35)は「広場に観光客は100人以上いた。爆発後、人間に交じって、野良猫も広場から駆けだしていた。欧州やアジアからの観光客もいた」と振り返る。イスタンブールは冬季は観光客が少ないが、「観光のピーク時なら犠牲者はもっと増えていた」と話す。
 チョルパンさんによると、昨年10月の首都アンカラでの爆弾テロ事件や昨年11月のパリ同時多発テロを受けて、観光客は例年の半分程度に減っているといい、「これ以上悪化しないことを望んでいるが心配だ」と話した。

 犯行声明は出ていないが、トルコ政府はISメンバーによる自爆テロと断定。外国人観光客を狙ったとみられる手口も、敵対国の市民を標的にするISの特徴に沿っている。ただ市民からは「ISやクルド、ロシアなど周りはトルコ政府の敵だらけだ。誰が関与していてもおかしくない。治安は悪くなる一方だ」との声も聞かれた。
【イスタンブール秋山信一】

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【トルコ首都で爆発、34人死亡125人負傷】 2016年3月14日

 【カイロ=本間圭一】トルコの首都アンカラの中心部で13日午後6時40分(日本時間14日午前1時40分)ごろ、大きな爆発があった。
 同国政府によると、少なくとも34人が死亡し、125人が負傷した。車による自爆テロとみられる。トルコ政府は、同国の少数民族クルド人系武装組織による犯行の可能性があるとみて捜査を開始した。
 在アンカラ日本大使館によると、14日午前6時(同午後1時)現在、日本人の被害は確認されていない。
 トルコ政府当局者らによると、市中心部の繁華街・クズライ地区で、爆発物を積んだ車両が爆発した。地元テレビは、バスが大破するなど多くの車両が巻き込まれたと伝えた。
 ダウトオール首相は13日夜、関係閣僚らを集め、緊急会合を開いた。犯行声明は出ていないが、ロイター通信は、治安当局者が、クルド人武装組織「クルド労働者党」(PKK)か、その関連団体の犯行とみていると伝えた。
 米大使館は11日、アンカラ中心部にある政府施設にテロが起こる可能性を警告していた。
 







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