2010年12月17日  チュニス〜カルタゴ〜スース


  バルドー博物館(チュニス)

一夜明けて、まず首都チュニスのバルドー博物館に出かけました。
バルドー博物館には、カルタゴ時代からローマ時代のモザイク壁画が多く展示され、“チュニジアのルーブル”と呼ばれているそうです。

バルドー博物館の入り口

洗礼盤

モザイク壁画


石棺のモザイク

モザイクの壁画(ネプチューンの勝利)

天井の装飾
 
【チュニジア銃撃:過激派テロと断定…死者20人超す】  2015年03月19日 毎日新聞

 【チュニス秋山信一】チュニジアの首都チュニスで18日、国立バルドー博物館が襲撃され日本人ら20人以上の犠牲者を出した事件で、同国のカイドセブシ大統領は19日、イスラム過激派組織「アンサール・シャリア」によるテロと断定し、徹底対決の姿勢を示した。一方、過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)とみられるグループも同日、犯行声明を出した。政府はテロの脅威に対抗する構えを強めている。

 アイディ保健相は同日の記者会見で日本人、スペイン人、ポーランド人、コロンビア人など外国人19人と、チュニジア人の治安部隊員ら2人の計21人が犠牲になったと発表した。負傷者は47人。犠牲者は23人との情報もある。
 日本政府は日本人3人が死亡、3人が負傷したことを確認した。

 シド首相は現場で治安部隊に射殺された2人がチュニジア人のヤシン・ラアビディ、ハテム・ハシュナウィの両容疑者だと発表した。AP通信によると大統領府は襲撃に関連したとみられる容疑者9人を拘束したと発表した。うち4人が事件に直接関与したという。
 カイドセブシ大統領は仏テレビ局のインタビューで、射殺された両容疑者がアンサール・シャリアと関係していると述べ、テロ組織に対し「慈悲を与えずに最後まで戦う」と強調した。ただ、シド首相は背後関係はなお不明と話している。
 ロイター通信によると、ISとみられる組織はインターネットに声明を出し、両容疑者が「ISの騎士」だと主張し、称賛した。

 事件では、軍服で変装した複数の男が18日午前11時(日本時間同日午後7時)過ぎに博物館に侵入し、観光客らに発砲。人質をとって館内に立てこもった。約3時間後、治安部隊が突入して男2人を射殺した。男らは隣接する国会議事堂を狙ったが、警備が厳重だったため、博物館に標的を切り替えたとの見方もある。


  カルタゴ《世界遺産》


チュニスの郊外12kmほどのところにあり、地中海に面したカルタゴは、2800年の歴史のある街です。
紀元前814年にフェニキア人によって造られ、地中海と沿岸の国々を支配していましたが、ローマ人との3度の戦争(ポエニ戦争)により、紀元前146年に壊滅しました。
その後、ローマの植民地となり、7世紀にはアラブの進入によって首都がケロアンに移り、1057年にチュニスに首都が移って、カルタゴは廃虚となりました。
1979年に世界遺産に登録され、近年は大統領官邸や外国の大使公邸、別荘などが集まる高級住宅地となっています。

ビュルサの丘 ポエニ時代の住居跡


ビュルサの丘から見るカルタゴ市街


ビュルサの丘にあるサン・ルイ大聖堂
 

カルタゴ博物館内の彫刻

鼻を落とされている彫像


古代カルタゴの港


トフェ(ポエニ人の墓地)

2世紀のローマ時代に建てられた公共浴場が、アントニウスの共同浴場です。
背後に地中海を見る、当時は2階建てだった広大な浴場です。
今で言う、スーパー銭湯でしょうか(笑)


アントニウスの共同浴場跡


浴場の内側


地中海
 

  
  ス−ス《世界遺産》

カルタゴから約160q南下した、チュニジア中部にある街がスースです。
スースはチュニジア第三の都市であり、一大観光地でもあります。
メディナ(旧市街)は、世界遺産に登録されています。


メディナの入り口


グランドモスクの外壁


ここでは、1時間ほどメディナを歩き、あとはツアーではつきものですが、お土産屋さんに案内されただけでした。
この旅行から、F1光ちゃんの小さなフィギュアを持参して、遺跡や景色と一緒に写真を撮る、ということを始めたのですが、このフィギュアの足が小さすぎて、自立してくれません。
そこで、この民芸品店で、木で出来たラクダの置物を買って、フィギュアを乗せて写真を撮りました。
また、いくら12月だとは言え、アフリカなんだからもう少し暖かいだろうと思っていたのが、見事に外れ、このスースで気温は13度。寒くてたまらないので、ショールを買いました。

チュニジアでは、企業の70%が国営だそうで、このお土産屋さんも国営でした。
国営ですからその利益で、独裁者のベンアリ大統領(2010年12月当時で23年間、大統領だった)の一族や、政府の上層部が私腹を肥やしているんじゃないのか、などと思いましたが、それは外れてはいなかったようです。

現地のガイドさんがいろいろな話をしてくれましたが、国民の平均月収は300〜600ディナール(2万〜5万円弱)ですが、消費税は22%(これも国庫に入る)。
製造業がなく、車や電気製品は全部輸入品なので高価で、冷蔵庫が1000ディナール(1ディナール=約70円)、車は1万6000ディナール以上もするそうです。
結婚式は盛大にやる風習があり、その費用が1万ディナールはかかるとのこと。
だから、なかなか結婚できない、とも言っていました。
失業率は15%で、若者が仕事につけない、などと聞かせてくれたのですが、このときは2010年12月。
私たちが滞在している時に、仕事につけない若者の焼身自殺がありました。
それをきっかけに、チュニジアで暴動が起き、ベンアリ大統領の23年間の独裁政治が崩壊しました。
これは、ジャスミン革命と言われ、その後、「アラブの春」と言われる民主化運動がアラブ諸国に波及しました。

ジャスミン革命は年を越して1月に起きたので、私たちがいたときは、チュニジアは治安が良く見えました。
物乞いも一人も見なかったし、土産物の売り子もしつこく群がってくることもありませんでした。
今まで旅行したところでは、スペインがとにかく治安が悪く、ずーっと「スリや強盗に気をつけろ」という注意ばかり受けました。
「日本人はおなかにパスポートを巻いていると知られているから、服を切り裂かれる」という話までありました。
インドのデリーやジャイプールは物乞いだらけだったし、物売りがシツコイのはエジプト、インド、カンボジアでした。
チュニジアの国花ジャスミンの花言葉は「温和・無邪気・素直・気立ての良さ」です。
旅行者としてのほんのちょっとの出会いですが、チュニジアの人は温和で気立てが良いという印象でした。
物売りではない普通の道行く人たちが、向うからニコニコと「ハーイ」「こんにちわー」と呼びかけてくる無邪気さ。
あんな人たちだから23年間も我慢しちゃったのね、と切なくなります。
チャラ男系のチュニジア男性の明るさ、人懐っこさを思い出すと、あのとき会った人たちがみんな無事で、これからは、政治が良くなって、少しでもいい暮らしができるようになればいいと、祈るような気持ちになります。

国営民芸品店のディスプレイ

ラクダの置物

広場にあるラクダの石像

ホテルのロビー

お誕生日祝い

ホテルの部屋

ホテルのロビーには、クリスマスツリーが飾られていましたが、イスラム教徒でもクリスマスは祝うのでしょうか。
またホテルのレストランの、私たちツアーの隣のテーブルでは、おそらくお金持ちの子沢山な一家が食事をしていて、その中の子供の一人がお誕生日だったようです。
部屋には、イスラム教徒がお祈りするときに使う祭壇(と言っても、メッカの方向を示すくぼみ)が、ありました。



  


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