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text:檸檬 photo:Momoko |
1日目(10月7日) 成田→ロサンゼルス→リマ |
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娘と私の母娘珍道中第2弾はペルーの旅です。 今回は、たった4人のギリシャ・エジプト旅行とはうってかわって、総勢31人の添乗員同行のツアーでした。 ペルーは日本から見て地球の裏側の国。 成田からロサンゼルス経由で21時間かかりました。 でも、ギリシャに行くとき26時間かかった経験を持つ私たち母娘は、「早かったね〜」と言っておりました(笑) 時差はマイナス14時間。 成田を7日の午後5時に出発して、リマ空港に着いたのは、8日の午前1時頃でした。 リマ市内のホテルにチェックインしたのは、すでに2時近かったです。 |
■ ロサンゼルス空港 | ■ リマ空港 |
2日目(10月8日) リマ |
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8時頃起きて、朝食後、娘と街へ出てみました。 ホテルのあるところは、ミラ・フローレス地区と言う新興の市街地ですが、雑然とした景観で、何となく寂れた街という印象です。 カイロのように作りかけの家が多くあり、空き家も多く、またリマは雨がほとんど降らないそうで埃っぽい感じがするのも、カイロに似ていました。 でも、カイロのような活気は感じられません。 ホテルから5、6分歩いたところにあるサルサル公園へ行って驚いたのですが、そのはずれは断崖絶壁で、真下は太平洋です。 リマは、断崖絶壁の上にある街でした。 切り立った断崖の向こうに、高層ビルが見えるのはちょっと不思議な感じです。 空も海も灰色でどんよりと曇っていますが、リマの天気は1年中だいたいこんな感じだとか。 南半球ですから、今は春。気温は東京・千葉あたりと同じくらいです。 でも、ブーゲンビリアの花が咲き、街中にも椰子の木が多く、南国のような感じもします。 果物も、マンゴー、パイナップル、パパイヤのようなトロピカルフルーツからみかん、りんごまで豊富にありました。 ただし、どれも形はふぞろいで、味も日本の果物ほど甘くありません。 |
■ ミラ・フローレス地区 | ■ サルサル公園 |
このサルサル公園にあるレストランで昼食をとりました。 ペルーの食事につきものなのは、ピスコ・サワーというとうもろこしから作られたお酒のカクテル。お味は、ジンフィズのような感じです。 そして、チチャという紫とうもろこしのジュース。 ほとんど甘みはなく、かすかに畳のような(?)干し草のような匂いがしました。 お料理はペルー料理で、鶏肉をにんにくの効いた香辛料で焼いたもの。 アボカド、赤カブ、キャベツなどのサラダもでましたが、どれも薄味でやはり干し草のような匂いがするような気がしたのですが、あとであれはペルーの土の香りかと思いました。 デザートは、ルクマという果物のアイスクリーム。日本で言えば、紫いものような味でした。ペルーの人の大好物だそうです。 これが、私がペルーでちゃんと食べた最初で最後の食事になりました。 この夜、ホテルで夕食を少し食べただけで胃が痛くなり、夜中に激痛で吐いてしまい、それから帰国までほとんど何も食べられなくなってしまったからです。 恋人たちの公園は、やはり海沿いの断崖絶壁の上にある公園です。 その名の通り、大胆なポーズの巨大な男女の像があります。 リマの恋人たちは、かなり情熱的です。街中で熱烈に抱き合っているカップルを多く見かけました。 ここではもちろん、この像と同じようなポーズのカップルが、ごろごろと(笑) |
■ 恋人たちの公園 | |
■ 日本大使公邸跡 | |
1996年12月17日に、テロリストが乱入して人質をとってたてこもった日本大使公邸の跡地です。この事件は、4ヵ月後にテロリスト全員が射殺されて、日本人の人質は無事救出されました。 右の写真は、門にあいた銃弾の穴から見た公邸の内部です。 今はこうして観光スポットになっていますが、まだ生々しい感じがしますし、なんだか不謹慎なような気もしますね。 リマは治安が悪いと言われていますが、いわゆるお金持ちが住んでいそうな家は、どこも左の写真のような鉄条網をはりめぐらせ、槍の穂先のような鉄柵があってかなりものものしいです。 せっかくの豪邸も、美観は二の次となっています。 |
■ アルマス広場の大聖堂 リマの旧市街は、約500年前にペルーを征服したスペイン人のフランシスコ・ピサロが作った街です。 中心にあるのがアルマス広場で、スペイン風の建物が残っています。 大聖堂はペルー最古のものです。 | |
■ 大統領官邸 |
■ 市役所 |
■ 黄金博物館 かつてのペルーは黄金の国で、ここには数々の金で作られた装飾品や日用品が展示されています。 ペルー人のガイドさんが案内してくれますが、言葉の端々にスペインによって征服され略奪された怒りや恨みが伺えるような感じがしました。 |
3日目(10月9日) リマ→クスコ |
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■ 機上から見たアンデス山脈 | ■ クスコ空港 |
朝5時起床で、ホテルを7時発で空路クスコへ向かいました。 私は、夕べはほとんど眠れず、胃薬を飲んでも胃の痛みは治まらず、朝食はもちろん食べられずという状態。 それが、一気に標高3360mという富士山並みの高地へ行くわけで、添乗員さんやガイドさんに、さんざん「高山病にかからないためには」という話を聞かされますが、返って「絶対かかるだろう」という気にさせられます(笑) 「深呼吸をいっぱいして下さい」「お風呂には入らずシャワーだけにして下さい」「走ったり、あまりたくさんしゃべったりしないように」と言うのですが、高山病にならなくても「おなかは張ります」「目は充血します」と聞かされれば、それだけで具合が悪くなりそう(笑) 機上からは雄大なアンデス山脈が延々と続くのが見え、雲海の上に山々の峰が見えるさまは、これこそ天空の城という感じでした。 クスコの街は、リマと違ってくっきりと晴れ上がり、眩しい青空でした。 |
■ サントドミンゴ教会 | ■ 太陽の神殿跡 |
インカ帝国の首都だったクスコは、16世紀にスペイン人によって征服されました。 サントドミンゴ教会は、かつてのインカ帝国の太陽の神殿を壊し、その石組みの上に建てられたものです。 インカの石組みは剃刀の刃1枚も通さないと言われ、どうしても壊すことができないもので、教会の中にはその石組みの太陽の神殿が残っています。 かつては、教会の中庭には黄金が敷き詰められ、この石の壁がすべて分厚い黄金で覆われていたそうで、スペイン人はそれを略奪し本国へ持ち帰りました。 こういう話も、ペルー人のガイドさんはとても口惜しそうに話します。 聞いている私も、ペルーの人たちに同情してしまいます。 また、インカ時代には鉄器がなく、巨大な石をどうやって切り出したのか、またどのようにしてこれほど精巧で堅固な石組みを作ったのか、インカの謎とされています。 クスコには、こうした石組みの建物が多数残っています。 |
■ サクサイワマン遺跡 | |
インカ帝国時代に造られた要塞跡です。 エジプトのピラミッドと同じくらいの巨大な石を隙間なく積み上げたもので、1日1万人の人間で50年かけて作られたとか。 その壮大さは、ギザのピラミッドにひけをとらないものではないでしょうか。 またここは、観光地であっても、エジプトのように俗化されておらず、自然の中にそのままあるところが素晴らしいと思います。 お土産屋さんも何もなく、とても静かでした。 |
■ タンボマチャイ遺跡 |
さらに高い標高3700mにある、水の神殿の遺跡です。 この辺で私は完全に高山病になり、頭が締め付けられるような頭痛がしてきました。 娘も「目玉が飛び出そうで、目が痛い」と言っていますが、私はそういうことはないので、これは娘の目が大きいせいでしょうか(笑) コカ茶が高山病に効くということで、ホテルでもどこでもコカ茶が出されますが、これはコカの葉っぱにただお湯を注いで飲むもの。 飲んでみましたが、やはり畳臭く感じました(笑) 私も娘も、これが高山病に効いたということはなかったです。 それでも、私と娘は、マチュピチュで高山病が治りましたが、最後まで高山病の方が4、5人いて気の毒でした。 ある若いカップルは、男性の方が全然ダメで、女性は元気。 最初はいつも手をつないでいてラブラブだったのですが、途中から別行動が目立ち、女性の方は何も食べられない男性のそばで、これ見よがしにパクパク何でも食べていたのが、すごく印象的でした(笑) |
■ アルパカ |
■ アルパカの赤ちゃんを 抱いた少年 |
ペルーの高地では、どこでも普通にアルパカが見られました。 らくだ科の動物だそうですが、らくだより可愛いらしい顔で、毛はほんとうにふわふわに柔らかかったです。 右の写真の男の子は、頭の上に鳥も止まらせていますね。なんの鳥だかわかりませんが。 ペルーでは、山の斜面に巨大な文字が書かれていることが多く、これも木が余り生えてない山だからできることでしょうね。 |
■ クスコの街並みと山に描かれた文字 | |
■ クスコのアルマス広場 | |
クスコの街の中心にあるアルマス広場です。 広場の真ん中には噴水があり、まわりにスペイン様式の大聖堂や教会があるとても美しい場所です。夕暮れから夜に変わる景色が、ロマンチックで綺麗ですよね。 この大聖堂の中の見学や、12角の石で有名な通りの見学もあったのですが、私は気持ちが悪くなって見に行かれませんでした。 アルマス広場で一人座って待っていましたが、同じベンチに座るカップルが熱烈抱擁中なので、そういうことに慣れていない日本人の私は目のやり場に困りました(笑) |
4日目(10月10日) クスコ→マチュピチュ→クスコ |
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頭痛と胃痛でよく眠れないまま、この日も5時起床。 クスコの駅を6時15分発の高山列車で、マチュピチュへと向かいます。 マチュピチュへ行く入口となるアグアスカリエンテスまでは4時間の旅。 列車はかつてオリエント急行で使われていたブルートレインです。 私たちの乗った客車は、食堂車のようにテーブルをはさんで四人で座るもの。 パン、果物、ヨーグルトなど簡単な食事が出ました。 クスコからは山越えをして行きますが、山が険しいので、いわゆるスイッチバック方式で、行きつ戻りつのようにジグザグに登って下りて行きます。 クスコの駅を出てしばらくは、山のスラム街の中を通ります。 ペルーでは山は土地がただなので、貧しい人々は山の斜面に日干しレンガで家を建てて住んでいます。 リマでは山の斜面を覆いつくすほどのスラム街がありました。 ペルーの人たちは、家の外壁に好きな色を塗るようで、政府が補助金を出してくれるので、色とりどりの家が並んでいました。 このクスコでも列車の窓から2mと離れていないところに、小さな家が立ち並んでいます。リマと違って、外壁は色が塗られていない日干しレンガのねずみ色のままでした。 山越えが終わると、とうもろこし畑が広がる農村地帯(家も人影もほとんどありません)を走り、あとは延々と続くアンデス山脈の険しい山々の中を列車は登って行きます。 なだらかな山は一つもなく、標高が3500m以上のため木も生えず、ほとんどが岩山です。 どこまで行っても、山また山。日本だったら、ある程度走れば山並みも終わるし、これほどの高い山なら有名な山となるでしょうに、ここではただの名もない山です。 はるかな山の頂の上に浮かぶ白い雲の上に、さらに高く雪をかぶった山の頂が見えたときは、深い感動を通り越して敬虔な気持ちにすらなりました。 私は神を信じてはいませんが、確かにあのような山を見た人間は、あそこには神々が住むと思えたことでしょう。 そのときちょうど、日本で買ったアンデス音楽のCDを聞いていたのですが、牧歌的なケーナの音色は、まさにこの自然にふさわしく感じられます。 |
■ 高原列車 | ■ どこまでも続くけわしい山々 |
■ アグアスカリエンテス駅 |
■ 駅前に並ぶお土産屋さん |
高原列車は途中いくつかの駅に止まりますが、小さな駅には基本的にホームというものはありません。 駅に止まるたびに線路脇に、インディオのおばさんたちがわっと寄ってきて、列車の窓越しにお土産品を売りつけてきます。 同行のツアーの人たちは、結構いろいろな物を買っていました。 前日ガイドさんから、「マチュピチュでは日中は30度くらいになるし、陽射しが強いので帽子は必ずかぶって下さい」と言われましたが、日本で出発前、「夜はかなり寒くなるので、そのための服装を用意するように」としか言われていなかった私たち母娘は、分厚いセーターなどばかり持ってきて、帽子もありません。 お土産品の中に、刺繍をした色とりどりの帽子もありましたので、私たちはこれを買ってかぶろうかという話になり、「一ついくら?」と聞くと「3ドル」ということ。 そこでお約束どおり、「2つ買うから5ドルにして」「OK」と10ドル札を渡すと、3ドルだけおつりをくれました。 「あと2ドル!」と叫んでいるうちに列車は動き出し、間抜けな私たちは3ドルのものを2つ買って7ドル払ってしまいました。 同行の旅慣れた、買い物は値切り倒している中年の奥様などに大笑いされました。 マチュピチュの入口になるアグアスカリエンテスの駅を降りると、日本の観光地のように道の両脇にずらっとお土産屋さんが並んでいました。 もちろん、帽子もたくさん安く売っていました(笑) ただ、フシギなことに道には使われていない線路がそのまま残っています。 道とならんで、アマゾン川の源流となるウルバンバ川が流れています。 急流の中、大きな石がごろごろしていて、私が「長瀞みたい」と言うと(発想がヘン?)、娘は「何?それ」と、アテネの街で「金毘羅さんみたい」「何?それ」の再現となりました(笑) 一軒のお土産屋さんのところでペルー犬を見かけました。 ペルーでは犬がたくさん飼われていて、中でもペルー犬は珍重されているそうです。 全く毛がなく肌はつるつるで、人が病気のときは抱いて寝るといいと言われているそうです。暖かいから、という理由のようです。 犬好きの娘は、「可愛い〜」と喜んで写真に撮りましたが、私から見ると、年取って禿げたようでもあり、むしられた鶏のようでもあります(笑) ペルーの人は猫は好きではないということで、猫の姿は全く見かけませんでした。 ギリシャには猫島というのがありましたが、やはり所変わればということですね。 |
■ ウルバンバ川(アマゾン川の源流) |
■ ペルー犬 |
駅から15分ほど歩いて、マチュピチュ行きバスに乗り、またまた険しい山道を登って行きます。 日光のいろは坂のようなへアピンカーブの道が続きますが、バス1台通るのがやっとの細い道で、舗装されておらず、もちろんガードレールなどありません。 そこをかなりのスピードで走って行き、途中で下りのバスと出会うと、すれ違えるところまでどちらかがバックします。 よく事故が起きないものだと、かなりコワイ思いをしました。 日本の3.3倍の広さのペルーは、海岸地帯が10%、山岳地帯30%、ジャングル地帯60%と分かれていますが、マチュピチュはジャングル地帯のはじに当たるそうです。 だから、気温は日中30度近くになり、またスコールなども降るとのこと。 その湿気の多い空気が私にはとても心地よく、バスに乗っているうちに、すっかり高山病が治ってしまいました。 |
マチュピチュ遺跡へ登る入口でバスを降りると、そこはもう完全に観光地化されていました。レストランやホテルがあり、大勢の観光客で大賑わいでした。 空は青く晴れ渡り、太陽がカッと照りつけて、すごい暑さです。 でも日焼けをすると大変なので長袖でいた方がいいと言われ、私は冬の長袖カーデガンを着たまま、インディオの帽子をかぶり、かつロングスカートにスニーカーという、ものすごく奇妙な風体のオバサンとなっていました(笑) これから30分ほど、けわしい山道を登るということで、スカートをはいている人間など一人もいません。 私も、エジプトへ行ったときはいたジーンズを持っていったのですが、夏の間に体重が2キロ増えてしまっていて、この日の朝ジーンズをはいてみると、2日間ほとんど何も食べていないのにもかかわらず、まだきつくて苦しいのです。 (オソロシクて、日本では試しばきはして来なかったので(笑)) 高山病のときはゆったりとした服装をと言うので、胃も痛いことだしこれ以上具合悪くならないようにと、仕方なくデニムのロングスカートにしました。 そのスカートをまくり上げつつ、階段状の細くて急な道を30分ほど登ると、そこがマチュピチュです。 いきなり目の前に、明るく光る石造りのインカの古代都市が広がりました。 高い山々に囲まれ、周りは断崖絶壁。 普通考えられるなだらかな山の中腹にあるということではなく、垂直に切り立った山のてっぺんに、ぽんと置かれたように、たくさんの石造りの建物があり、まさに忽然と現れた空中都市そのものでした。 息を呑むような光景で、「わぁ〜すごい!!」としか言いようがありません。 テレビや写真で見る映像からは全く想像できなかったほど広くて(5キロ平方メートル)、全部見るには丸1日はかかるそうです。 どうやってこんな場所に、これほどの街が作られたのかも謎であり驚異ですが、この雄大な自然の中に暮らしていたのは普通の人間ではなく、やはり神々の一族ではなかったのかと思えるほどの神秘を感じます。 この都市が放棄された謎も、神々が人間の世界を捨てて天空へ帰ったからだ、と思えば納得できます。 写真では、このマチュピチュの壮大さがほとんど伝わらないのが残念です。 娘がデジカメのほかに、普通のカメラでパノラマ写真をいっぱい撮ってきたので、スライドショーにしました。少しでも伝わるといいのですが・・・ |
〈スライドショー〉 6枚の写真があります。 写真の上にマウスポインタを置いてください。 画像が変化します。マウスポインタをはずすと、画像の変化が止まります。 ▼ |
垂直に切り立った崖のはるか下にウルバンバ川が見えます。 細い石段の道は、ちょっとよろめいたら崖下に転げ落ちそう。 高所恐怖症の人には、歩くのは難しそうです。 インティワタナというのは街の一番高い場所に作られた石の建造物で、天文台とも礼拝所とも言われています。 日時計の一種で、これで人々は1日の時間を測ったようです。 それに比べて、太陽の神殿は1年の暦となるものでした。 年に1度冬至の日の朝、神殿の大塔の南東の窓から差し込む光が、大塔内の岩に刻まれたくぼみと一致するようになっているのです。 ガイドさんは、インティワナは太陽の影で時を知り、大塔は太陽の光で時を知る、と言っていました。光と影、なるほどと思い印象深い言葉でした。 2時間ほどで、マチュピチュの見学は終わりましたが、娘は「帰りたくな〜い、ここに泊りたい〜」などと言って、ペルー人のガイドさんに喜ばれていました(笑) |
■ 崖下に見えるウルバンバ川 |
■ 細くて急な石段 |
■ インティワタナ |
■ 太陽の神殿 |
帰りはまた4時間の高原列車の旅です。 行きと違って、展望車というのでしょうか、天井の部分がガラス張りの最新式の列車でした。 他のみなさんは寝ている方が多かったのですが、私はそのガラスの部分から見えるアンデス山脈の景観が素晴らしかったので、ずーっと見続けていました。 夕陽に照らされた山々は荘厳で美しいものです。 途中列車の中で、ペルーの名産品アルパカのセーターのファッションショーやら、民族舞踊やらを見せてくれました。 ファッションショーのモデルさんは、あとでセーターやお土産品の売り子さんとなって現れ、またそのあとではウェイター、ウェイトレスとなって飲み物を配っていました。 クスコに戻ったのは7時すぎ。クスコの街の夜景が、とても綺麗に見えました。 街の灯りが濃いオレンジ色で、暖かくメルヘンチックな感じがします。 この日の夕食は、街のレストランでした。 フォルクローレのバンドが演奏し、民族舞踊も見せてくれます。 二組のバンドが出ましたが、後の方に出たバンドの方が演奏が上手く、私たち日本人観光客の団体のために、なんと尾崎豊の「I Love You」を演奏してくれました。 ダンスも、民族衣装が色鮮やかで美しく、踊りも面白かったです。 |
その2 |
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