ぺるー旅日記


 5日目(10月11日) クスコ→プーノ→チチカカ湖

またまた5時起床で、ホテル6時半出発で、バスでクスコからチチカカ湖のあるプーノまで向かいました。移動距離1380km、8時間の長旅です。
プーノは標高3890mの町。クスコよりさらに標高が上がりますが、私は、きのうのマチュピチュ観光で、高山病が治ったので大丈夫です。
アドレナリンも全開のようで、胃は痛みますが全く元気でした(笑)
パソコン講座の授業を受けに学校へ通い始めて2ヶ月で4キロも太ってしまったので、その後の1ヶ月間、やせるためとペルー旅行に備えて、毎日休み時間に学校の階段を6階まで上り下りするのを2回ずつやっていました。
体重は2キロしか減らなかったけど、足腰は鍛えられていたようで、きのうのマチュピチュ登山で足が痛いなどということもありません。
バス移動は長くても、ペルーの景観はどこも雄大で素晴らしい自然ばかりなので飽きることもありませんでした。
プーノまでは、大草原の中を果てしなくまっすぐな道が続くという感じで、360度地平線まで視界をさえぎるものがありません。
そして、その地平線の先は高い山々が連なっています。
生えているのはイチュという固い草で、放牧されているアルパカやリャマはそれをエサとしています。

■ クスコからプーノへ続く道

途中サンパブロというところのお土産屋さんで、トイレ休憩。
私はトイレには行きませんでしたが、観光客用に結構きれいだとか。
現地の人は基本的に、トイレは青空トイレだそうです@@
ここで私は、お土産用にアルパカのマフラーを買いました。
帽子で失敗している私は、このときとばかり値切って、かなり安くしてもらってご満悦。
それから、クスコを出て4時間半ばかり走ったところで、ララーヤというプーノ県に入った所でバスを降りました。
ここは標高4313m。今回の旅の中では一番高い場所で、空気も薄く感じます。
そこから、氷河に覆われた6000mを超える山々が見えました。
ここの道端には、お土産屋さんが品物を広げて商売をしています。
ここの人たちは商売馴れしていて、アルパカのセーターや敷物などを次から次へと勧めてきます。
私は母のお土産にセーター1枚と、またさっき買ったのと同じようなマフラーを買いましたが、値切ってみると簡単にさっきのお店より安くなってしまったので、ガックリ。
このあと、昼食のためにレストランに寄りましたが、そこではさらに安くマフラーを売っていたので、またまた失敗です(笑)
早い話、ペルーでは標高が上がるほど値段は下がる(?)という感じでした。

■ ララーヤから見える6000m級の山々

■ ララーヤ

■ 露天のお土産屋さん

午後2時半、プーノに着きました。ホテルはチチカカ湖畔にあります。
そのまますぐに船に乗って、ウロス島の観光に出かけました。
チチカカ湖は私の想像では、青く透きとおった水の美しい湖でしたが、案に相違して水は不透明で灰色をした、またとてつもなく広い湖でした。
なんと日本一の大きさの琵琶湖の12倍の広さ(四国の半分)だそうで、それが富士山より高い場所にあります。
湖の向こう側は、ボリビアです。
チチカカというのは「父なる湖、母なる湖」という意味で、チチ=父、カカ=母だそうで、「そのまんま」という感じです(笑)
インディオの人たちは、ベーリング海峡が地続きだった時代に、アジアから渡ってきた人たちの子孫ですから、言葉も日本語と似ているところがあるのかもしれません。
ちなみに、クスコはへそ、マチュピチュは老いた峰という意味だそうです。
湖の上はとても寒く、胃が痛む私は持参してきた貼るカイロをおなかに貼り付けました。
湖は余りにも広いので、向こう岸というものが見えません。
はるか彼方に山脈が見えるだけ。

■ チチカカ湖
















■ ウロス島
■ ウロス島の小学校と小学生

■ 葦の家と石臼を挽く女の子

■ トトラ(葦舟)

ウロス島というのは葦で作られた浮島のことで、固有の島の名前ではありません。
現在45個のウロス島があり、1200人のウル族が生活しているそうです。
葦で作られていると言っても島というからには、固い地面があるように想像していたのですが、島に降りてみると、ほんとうにただ葦をたくさん水の上に浮かべただけのもの。
歩くとぶわぶわして、だんだん船酔いのように酔ってくるような感じがするほどです。
敷き詰めた葦の高さは4,5mありますが、水がにじんでくるところもあります。
家も葦で作られていますが、家のそばの右側に立っているのはソーラー電池のパネルです。(上の左下の写真)
フジモリ大統領の時代に、各家につけてくれたそうで、家の中にはテレビがありました。
フジモリ大統領は小学校も作ってくれて、一番大きなウロス島に小学校が建っています。
リマのスラム街にもフジモリ大統領は学校を建てたそうで、ペルーのガイドさんはどの人もフジモリさんについて好意的な言い方をしていました。
家にはトイレがなく、湖がトイレですが。、食べるものも湖で獲れる魚やカエル、水鳥です。
また、物々交換で手に入れた穀物は石臼で挽いて粉にし練って食べるそうです。
家には台所もなく、家の前で5才の女の子が石臼を挽いていました。
女の子の写真を撮ったので、慣例となっているチップを上げると、素早くスカートの下に隠しました。スカートの下には、他にパンやお菓子が隠してありました。
観光客が子供たちにたくさんチョコレートやキャンディを上げるので、最近子供たちは虫歯になる子が増えて困っているそうです。
ウル族の人たちはトトラ(葦舟)で移動します。トトラの舳先にはそれぞれ、ピューマを形どった顔がついていて、なかなか面白く可愛いです。
観光用に1ドル出して乗せてもらえます。
20人くらいが乗れました。若いグッドルッキングボーイ(笑)が船頭さんでした。
1回で20ドル余りの収入ですから、彼らは実は、大卒の初任給が1万8000円くらいというペルーではかなりの高所得者ではないでしょうか。
それでも観光を商売にしてない人たちもたくさんいるとのことで、世界にはほんとに不思議な生活をしている人たちがいるものだな〜と、驚くばかりです。

■ 夕暮れのチチカカ湖

■ 夜明けのチチカカ湖

夜、ホテルでインターネットをやってみようと思い、フロントで聞くと簡単にパソコンを貸してくれました。
ところが、日本語が読めるようにはなっていないので、HPの文字は全部文字化け。書き込みもできません。
そこで、勝手に日本語をインストールしようとしてみましたが、手順などが全部スペイン語なのでさっぱりわかりません。
仕方なく、「日本語が読めない」とフロントの女性に言うと、しばらくして日本語が少し話せるという若い男性がやってきました。
日本語を勉強していて、日本へ行って働きたいそうです。
パソコンは独学だということで、私がやろうとしたのと同じようにやって、おそらくスペイン語で「同意しますか?」という質問が出たところで迷っています。
私がそばから「OK!OK!クリック!」と言うと、彼は素直にクリック(笑)
そのあとちゃんと日本語が出てきて、二人で思わず顔を見合わせて拍手。
これで私はペルーに足跡を残した、と思いました(笑)

翌朝も5時起きだったので、ホテルの部屋の窓から、チチカカ湖の向こうから太陽が昇ってくるところが見られました。
娘を起こして「ご来光よ」と言うと、「何?それ」だったのですが(笑)、素晴らしい光景に 娘も何枚も写真を撮りました。


 6日目(10月12日) プーノ→シルスタニ→フリアカ→リマ→イカ

■ シルスタニ遺跡
■ チェルパ

チチカカ湖畔のホテルを朝8時出発。バス・飛行機・バスと乗り継いで、イカの町まで14時間にわたる大移動の日でした。
まずはプーノから1時間ほどのシルスタニ遺跡へ。
ここは、プレインカ〜インカ時代のチェルパと呼ばれる石の墓がたくさんある墓所。
草だけの広々とした丘の上に、ぽつんぽつんと大小のチェルパが並んでいます。
木が生えていないのは、ここがプーノよりさらに高い標高4000mの場所だからです。

この遺跡の丘の向こうには、ウマヨ湖という湖がありました。
この湖はチチカカ湖と違って、全く観光地化されておらず、手付かずの自然のままでした。
澄み切った湖面にはさざなみ一つ立たず、真っ青な空と真っ白な雲がそのまま映って、まさに鏡のよう。
ありきたりな言葉ですが、絵のような美しさとはこのことでしょう。
周りを山々が取り囲み湖は森閑と静まり返っていて、荘厳な神秘さを感じました。
でも、この湖の中にある大きな島には、一人だけ住んでいる人がいるそうで、確かに家も一軒見えます。
彼はそこで40頭のビクーニャを飼い、その毛を売って生活しているそうですが、ビクーニャの毛のコートは日本だったら100万円はするもの。
彼はすごい金持ちだ、とガイドさんは何回も言っていました(笑)

■ ウマヨ湖



ウマヨ湖をあとにして、フリアカの町まで行く途中で、ケチュア族の「お宅訪問」がありました。
大草原の中を通る道の傍に一軒だけある家です。
観光用に自宅を開放しているんですね。中庭では子供たちがお土産品を売っていました。
クイというモルモットの一種を何匹も飼っています。
とても可愛らしく、私たちの感覚からすればペットですが、これは食べるために飼っているとのこと。
家の外に台所。かまどがあり、ゆでた紫色のジャガイモとリャマの乳のチーズをテーブルに並べて、サービスしてくれました。
ジャガイモは小さく、皮をむいても紫色をしていて、これに土を水で溶いたもの、要するに泥をつけて食べます。
結構何人もの人がチャレンジしていましたが、娘はもちろん食べません。
私は、初日からほとんど何も食べていないのですが、こういう珍しいものは試さずにはいられない、という因果な性分(笑)
どうせ胃は悪いんだからと、泥のトッピングでジャガイモを食べてみました。
ジャガイモ自体はとても美味しいのですが、泥の方はただ泥というほかなく(笑)、しょっぱいので塩代わりということなのでしょう。
チーズの方は、カマンベールのようで美味しかったです。

■ ケチュア族の家の門と塀
■ ケチュア族の家の台所

このあと、フリアカという町へ行き、そこからリマ行きの飛行機に乗りました。
リマまで2時間。リマ空港からすぐにバスに乗り、今度はイカへ向かいます。
イカまでは、パンアメリカン・ハイウェイを通って380kmの道のりで5時間かかります。
パンアメリカン・ハイウェイは、パナマからチリまで、南米の太平洋側を貫くハイウェイです。
山岳地帯から海岸地帯へ来たので、一気に景色が変わりました。
海岸地帯は、ほとんどが砂漠です。海が見える反対側に、高い砂の山が延々と続くさまも、大自然の驚異を感じさせられ、見飽きない光景でした。
夜7時頃、途中のドライブインで夕食でした。
ここで出たのはペルー風ヌードルというもので、私も味見はしましたが、まさに焼きうどん! 味付けは、しょう油ではないというのですが・・・
ホテルに着いたのは10時過ぎ。高級なリゾートホテルという感じのホテルでしたが、ここはバスタブがなくシャワーだけでした。
疲れ果てていた私は、結局シャワーも浴びずに、服も着替えず寝てしまいました。

■ 海岸地帯に続く砂漠
■ 海側にある家並み


 7日目(10月13日) イカ→ナスカ→イカ→リマ

朝7時にホテルを出発し、イカの空港へ向かいました。
途中、砂丘とワカチナ湖に立ち寄りました。ワカチナ湖は、砂漠の中のオアシスにある小さな湖です。
やはり鏡のような湖面に、砂丘や木々が映っていました。

■ ワカチナ湖


イカの空港に着いたのは9時頃。
ここからセスナ機に30分乗ってナスカまで行き、地上絵を観光します。
セスナ機は、地上絵の上を右に左に旋回するので、「誰でも酔います。酔い止め薬を必ず飲んでください。」と厳重注意。
ツアー客をくじ引きで5組ほどに分けて、順番にセスナに乗ってナスカへ向かいます。
私たちの順番は真ん中くらいだったので、「まだまだです」と言われて、飛行場の裏手にあるコンドルが飼われているところを見に行きました。
サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」ですっかりおなじみのコンドルは、高地にしか棲息しない大きな鳥ですが、ここではすっかりペットのようになっていました。
そこにのんびりといると、突然「○○さん!○○さ〜ん!!」と添乗員さんがあわただしく私たちを呼ぶ声。
天候が良いのでセスナ機が何機も飛べるようになったとかで、私たちグループの順番がすぐきてしまったのです。
「酔い止め薬は30分前に飲むように。」と言われていた私は、あわてて薬を飲みましたが、元々胃が悪いのですから、薬など効くはずもなく、私は地上絵に着く前に酔ってしまいました。
セスナ機は6人乗り。遊園地の飛行機並みの狭さです。
ナスカの地上絵までの30分間は、ただひたすら砂漠の上を飛びます。
地上絵は、深さ5cmほどの溝で描かれているもの。
これが1300年以上もの間埋もれずに残っているのは、雨がまったく降らないからというだけでなく、この砂漠が砂ではなく岩の砂漠(岩漠?)だからでもあるのでしょう。
草一つ生えていない岩山が続く光景は、地球ではなく月世界のようです。
とにかくペルーの自然はどこもスケールの違う大きさです。
セスナ機は意外に高度を飛び、はるか下に帰りのセスナが飛んでいるのが白い蝶のように見えました。

■ 6人乗りセスナ機
■ セスナ機から見る砂漠

1回のフライトでは8個ぐらいの地上絵を見るのですが、地上絵の上にくると操縦士の人が「サル」とか「コンドル」とか名前を教えてくれます。
そのとき、右に左に旋回するので、言われたとおりに下を見ると、ぐーっと気持ちが悪くなります。
かなり飛んでる高度が高いからでしょうか、思ったより絵は小さく見えるだけです。
地上絵はみなさん期待度が大きいこともあって、これにガッカリする人も多いようです。
私はなるべく下を見ないようにしていたので(笑)、絵は2、3個見えただけでした。
娘は写真に撮ろうとして一生懸命でしたが、デジカメでは上手く撮れなかったようです。
私は乗る前から、娘に「写真より自分の目で見る方が大事だからね!」と言ってあったので、ここにあるのはどうにか撮れた写真2枚だけです。
地上絵は450kuにわたるナスカ平原に約70以上の動植物の絵があるそうですが、その真ん中をパンアメリカン・ハイウェイが通っています。
道路のそばにあるのが、地上絵を生涯研究したドイツ人学者マリア・ライヘさんが建てた観測塔で、その左下が「木」、右下が「手」の絵です。
これらの巨大な絵が、どのようにして、また何の目的で作られたかは未だに解明されていません。
ピラミッド と同じで、こういう謎を娘とあれこれ推理して話すのが、とても面白いんですよね。娘はまたもや『巨人説』(笑)
さっき、これを書くにあたって確認したところ、「当たり前じゃん、何が何でも巨人説」と自分の幼稚さを省みず、自信満々言い切っておりました(笑)
現在は天体の運行を映した暦説というのが有力だそうですが、この果てしない岩山の砂漠を見る限り、ここにわざわざ暦を作っても、生活の場所とかけ離れすぎていて意味がないように思えます。
また、宇宙人の目印というのも俗説でよく言われていますが、これもセスナ機で見てあれほど小さいのでは、宇宙からの目印になり得ないでしょう。
かと言って、普通の人間が地上から見ては、全く絵には見えないほど大きいのは事実ですから、やはり「巨人がお絵かきをした」という娘の説が一番納得できるかも〜(笑)

■ パンアメリカン・ハイウェイと「木」「手」



■ 「ハチドリ」


■ リャマ
往復を入れて1時間20分程度の地上絵観光で、またイカのホテルに戻りました。
昼食のあと、ホテルの庭を散歩しました。
広い庭には芝生が敷きつめられ、たくさんの木立があり、花も咲き乱れ、池や小川もあって、美しいイギリスの田舎のような風景です。
でも、その木立の向こうは砂漠で、ちょうどエジプトのギザのピラミッドの近くのホテルのようでした。
裏庭には、アルパカとリャマが放し飼いになっていました。
リャマは敵を攻撃するときは、口の中にフンをためてフン攻撃をするので(笑)、あまりそばへ行ってはいけないと言われました。
ちなみに、 ビクーニャは毛の色が茶色で、首がほっそりと長く可愛らしい上品な顔立ちをしています。
ビクーニャの赤ちゃんはバンビのようでした。

■ イカのホテルの裏庭

午後3時にホテルを出て、また5時間バスに乗り、リマへ向かいました。
途中、エレナというメーカーのチョコレート工場に立ち寄り見学と買い物をしました。
天候が良く、地上絵観光がさっさと終わってしまって時間が余ったからのようです。
いろんな種類のチョコレートがありましたが、棒の先にひまわりの花の形のチョコレートがついているのを買いました。
リマに着いて、日本食レストランで夕食。
寿司、刺身、エビフライ、とんかつが一つのプレートに一緒盛りになっており、それに味噌汁がついていました。
みなさん、やはりうれしげに食べていましたね。
私は、お寿司だけ少し食べましたが、さすがに胃がホッとしたかも。


■ ペルーの花
   



 8日目・9日目(10月14日・15日) リマ→ロサンゼルス→成田

午前1時、リマ発ロサンゼルス行きの飛行機に乗り、いよいよ帰国です。
日本食レストランでは、これでツアーは一応終わりということで、添乗員さんの挨拶がありました。
30才くらいの、てきぱきとして気配りの行き届いた女性でした。
話の中で「今まで一番驚いた経験は、母親が自分に内緒でツアーに参加してきたことです。もちろん、ツアー中は一切口をききませんでしたけど」と言っていたのですが、リマ空港で、お一人で参加していた年配の女性がその添乗員さんと同じ苗字だと気づいた私。
「あらっ、もしかしてお母様ですか?」と聞くと、満面の笑みで「そうです」と言うので、一同騒然(笑)
「でも、ばらすと娘に怒られちゃうの〜」と言うお母様の、うれしそうなお顔が忘れられません。こういう形で娘さんと旅ができるというのも、幸せなことですね。

成田に着いたのは9日目の午後4時過ぎ。
この晩、私はさっそくおかゆを食べ、その後も1週間くらいおかゆ続きでしたが、胃が治るまでは10月いっぱいかかりました。
こうやって旅行記を書いてみると、あらためて過酷なスケジュールのきつい旅行だったとわかり、よく乗り切れたと自画自賛です(笑) アドレナリンの勝利ですね(笑)
ペルーで行ったところはどこも、ほんとうに素晴らしいところでした。
人間の存在を超えた大自然というものが、ただそこにあり、その中にいるだけで自分が完全に無の状態になった気がしました。
「自分がちっぽけに感じられる」とか「現実が煩わしくなる」などというつまらない小理屈なども浮かばず、ただただ頭の中がからっぽになり心が白紙になるような感じです。
とても、軽やかで快い気持ちなんですよね。
そこで、今度また行ける機会があれば、ネパール・ブータンあたりに行ってみたいと思っているところです。


その1
 






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